50首連作「ホログラム」作歌過程全部見せマラソン――4日目(11首目)

筆名、変えた方がいいのかな。

全部見せ(11首目)

日影ないね、日影ないねえって言いながら白っぽい歩道橋下りてゆく

これは連作制作過程のかなり後半に作った歌なので、連作のメインになったり雰囲気を出したりする歌ではなく、隙間を補うイメージで詠んだ。

「下りる」という動詞から発想を広げて作ったもの。

影ないね、影ないねえ、って言いながら白っぽい歩道橋を下った

原型としてこれがすんなり浮かんだようだ。

おぼろげな記憶だが、「白っぽい歩道橋」のイメージが最初にあったと思う。
繰り返しになるが「光」の質感を大切にしている連作なので、夏のまぶしさを出したかった。

「夏のまぶしさ」からの連想として「日に焼けたもの」というイメージがどこかにあって、それと「下りる」という動詞が繋がるところで最初に浮かんだのが表参道のGYREの前にある白い歩道橋だった。

これも繰り返しだが、この連作中の「あなた」は明確に実際の私の恋人のイメージなので、恋人と歩道橋を渡ったときのことを意識している。

思い出せる範囲で恋人と歩道橋を渡ったのがGYREの前で、それが夏の眩しい時期だったかは分からないけれど、夏の日差しの中だったらこうだろうな、と創作した会話が「影ないね、影ないねえ」なのだ。

ここで会話に文字数を割く判断をしたのは、「わたし」と「あなた」の関係性をどこか無邪気なものとして定義したかったからだろう。
先ほど「隙間を補うイメージ」と言ったが、説明的にならずにふたりの関係性をもう少し見せたい、という計算があったのではないだろうか。

影ないね、影ないねえ、って言いながら白っぽい歩道橋を下った

この原型から

日影ないね、日影ないねえって言いながら白っぽい歩道橋下りてゆく

この完成形に落ち着いた経緯だが、「影」から「日影」にしたのは単純に分かりやすさのためだ。
発話者の影がないのではなく、涼める場所がないということを明確にするため。

「下った」を「下りてゆく」にした理由は、当時ははっきり意識していなかったかもしれない。
後出しで評価するならば、「下った」という過去の回想ではなく「下りてゆく」という進行形にすることで、「日影ないね」という会話が鮮やかになると思う。

最後に気になるのが、「白っぽい歩道/橋下りてゆく」の句またがりが適切なのかどうか。

句またがりには必然性が必要だということを先日述べたが、この句またがりに表現上の効果はない。
ただ、「白っぽい歩道」が8拍であることで、不自然さは軽減されているように思う。
7拍であるべきところを8拍であふれさせることにより、4句と5句の断絶がかなり曖昧になる。その結果、句またがりをしているのにそこまで気にならないということになるのではないだろうか。

感想

たぶんこのマラソンを始めたおかげで昨日久しぶりに1首詠めました。笹井出すぞ〜

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