見ず知らずの人を助けるということ

なぜ人は見知らぬ人の力になるのか。
今後の人生で一度も出会わないであろう人、しかも顔も名前も知らない人のために。


私は献血の学生ボランティア「学生献血推進連盟」に所属している。
献血も高校生から協力し始めて、いまでは9回。

献血は病気などで輸血が必要な患者さんのために、健康な人が無償で血液を提供する事業である。

顔も名前も知らない人のために、太い針を10分以上も腕に刺されつづけ、さらには牛乳パック2本分もの血を抜かれる。
普通に考えてたまったもんじゃない。

でも、私は献血とその推進活動を続けている。
尋常ではない行為を行い、街頭でよびかけているのだ。

しかも自分の大事な時間を削って、までも。

見返りは特にない。

狂っているのか、と思うこともある。

だが、「苦しんでいる人がいる以上、自分が少し我慢すればその人の苦しみが和らぐのなら、なにかしてあげたい」と思ってしまうのである。

困っている人を想うと、なにかしてあげたい、とか、助けてあげたいと心を掴まれる。
そんな感情を抱えたにも関わらず、それを見捨てたら、たぶん、いや必ず後悔するに違いない。
すなわち、自分が嫌な気持ちになりたくないから、手を差し伸べるのである。

結局のところ、「エゴ」なんだと思う。
自分が嫌な気持ちにならないため。

世の中のために良いことをして、優越感に浸っていることは否定できない。
変な正義感というか、そんなもんだろう。

過度なお節介だと自分でも感じる。
でも、それで助かる命があるなら自分の時間を惜しんでまでも手を差し伸べたいと思う。


「自己満」「エゴ」以外の理由も見つけたい。見つけるというか、作りたい。

新しい理由ができたら、またここに記すことにしよう。

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