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孤鳥

 ちちち。ちちち。1Kのベランダ、あまり出ていなかった間に何故か間借りしてきた雛の声が響く。この時間は丁度煙草が吸えるんだよ。お前らの母親がいないからな。それか、親父だったりするのか?それはないか、と思い直して火をつける。180円のターボライター。頭の中とは裏腹に全く感慨ない針形の炎が、巻紙を貫通して葉を焦がしていく。

「あぁ、やってられないよ」

 ちちち。ちちち。一応は雛と逆側に言い訳がましく紫煙を吐いた。受動喫煙って間接的な殺人だ、って嫌煙家の母さんが言ってたっけ。実は煙草を吸うのは3ヶ月ぶりで、引き出しにしまっていたそれを引っ張って、吸っている。だから風味もクソもあったもんじゃなく、葉の質も劣化してひどく不味い。久しぶりの時ぐらいは新品を買ってくるんだった。スマホを慣れた手つきで開いて、電子預金通帳を見る。3428円也。あと1週間はこれで繋がなければいけないから、今日の飲みの断りを吉村に入れなければならない。メッセージアプリには、吉村からの「何時だっけ今日」という連絡が届いていた。丁度いい。

『悪い、金がなくなって行けそうにない』

『は?なんでだよ』

『高2のクラスに鷹野ってやつがいたろ』

『いたか?』

『いたんだよ、結婚式に呼ばれてさ』

『俺呼ばれてねえよ』

『知ってる だから書いてる』

『男か女かも覚えてねえ』

『そんなだから呼ばれねえの、お前は』

『で、どっちだっけ』

『女』

そこまで打ってから、口に咥えた煙草を一度離して真っ白なため息を吐く。こいつは昔から一切察することをしない奴だった。そういう病気があるらしいことは知っているが、特に調べなくていいと思ってる。こいつと話してる。病気と話してるわけじゃない。

『そんで?』

『ご祝儀ってのがあんの、万券1枚だと礼儀がないらしい。けど2枚だと「割り切れる」からダメなんだと』

『ふーん』

『なら3万だってことで、昨日はよく分からん人たちとケチな会場でケチな飯食って、3万。ぱあ。』

『は?おかしくね?』

『何が』

既読がついてからしばしの間が挟まる。吉村が自分なりの論理を弾き出している時間。この2分が割と楽しい。

『3万も割り切れるだろ、1万5千。1万がダメっつーなら、そうだな 俺なら2万円入った封筒に1円玉放り込む』

『あのなぁ』

ここまで打って、自分が笑っていることに気付いた。今もこいつとだけは定期的に会ってるのは、やっぱり俺にできないことを平然とやれるからだ。

あの時もそうだった。クラス内で対立して、「一発殴ってこいよ」と言って来た不良の……名前なんだっけ。あの実家の自動車整備業継いだ奴。あいつの脳天に金属製の水筒をフルスイングして病院に送った時、なんでそんなことをしたのか教師に聞かれて、「だって一発しか殴れないならこっちの方がお得じゃないですか」と釈明(?)していた。あの時手を叩いて笑ってしまって、二人で職員室で詫びることになったけど後悔はしてない。

俺はその後地元の大学に行って、あいつはその一件で退学した。地方とはいえ暴力沙汰を起こした中卒を雇うのはどこも厳しいらしく、ちょっとした小遣い稼ぎのアルバイトを転々としてる。俺はあいつのことは好きだが、天地が返ってもあいつを雇おうとは思わない。

『来いよ、久々なんだから』

『奢ってくれんの?』

『まさか』

『じゃあ無理だろが』

『ウチ来るか?親父のビール貰えるか頼んでみる』

は?お前実家だよな?という当たり前の問いに『おう』と返ってくる。そういえば、こいつの家には行ったことがない。というか、こいつに家族いるのか?今親父って言った?全く想像がつかないことが、ぐるぐると回っては抽象的に消えていく。よくわからない螺旋のような思考が現れ、2回転もしないうちに消えていく。

『お前の家族って、どんなん?』

『あー、なんていうか、偽物?みたいな』

1分だけ置いて、返信が返ってきた。「言いたくない」のかとも思ったが、一旦構わず続ける。

『偽物?血が繋がってないのか?』

『あー、違う違う それっぽいだけって感じ』

『悪かった』

『何が?』

『わかんないならいい』

『そうか、じゃあ来いよ』

『了解、何時がいい?』

『7時とか』

『それ、夕飯?』

『そうだな』

『食卓囲めって?』

『飯代浮くだろ』

『馬鹿かって言うか迷ったけど、わかった。住所は?』

半ば諦める形で、宅飲み?いや、相伴?が決まった。まだ時間があるな。玄関まで戻って、黒い革靴の紐を引っこ抜いてベランダに戻った。キャンプ用の椅子の上に無理矢理立ち、鳥の巣を覗き込む。はじめまして。

「偽物なんだってさ」

靴紐をぷらぷらとみせると、羽も生えそろっていない小鳥がいっそうぴいぴい鳴いて自分の口に入れるように要求してきた。可哀想だとは思わなかったが、今どこかで似た形の餌を探す親鳥のことを考えると、それを飲ませる気も起きない。何より、飽きた。室外機の上に無造作に投げ捨て、部屋に戻った。

7時になって、吉村の家の前まで来た。当たり前だが、徒歩圏内にあるものだ。庭付きの二階建て一軒家……。正直集合住宅だと思ってた。失礼にあたるだろうか。ただ、あいつともそんなに深い仲というわけでもない。金のない、高校中退実家住みのフリーターなら、そんなもんじゃないのか?

門扉の前にチャイムがある。表札が【吉村】なのを確認して、押す。吉村本人が出てくるものだと思っていたから、中から小綺麗なおばさんが出てきたのは面食らった。

「いらっしゃい!あなたが貞時のお友達?」

「はい、日高宗介です。高校の頃から吉村とは付き合いがあって。」

「あの子に友達がいるとは思わなかったわ〜!ホラ、あの子あんな感じじゃない?愛想も良くないし。」

家で行ってやるなよ、と思いながらはははと笑った。とりあえず門は開けて良さそうだ。ノブに手をかけて、庭に入る。こうして見ると、かなり手入れされている庭だ。切り揃えられた芝生に立つ銀木犀の木、季節柄裸なので下手なところから太い枝が生えた形跡があるのが分かった。綺麗に切り落とされている。

「いいお庭ですね。」なんの気はなしに、世辞を言った。

「そうなの、私が世話好きで。趣味なの。嬉しいわ、分かってくれるのね。大きい作業はお父さん、あ……主人も手伝ってくれるのよ。」

吉村は、と言いかけてやめた。特に理由はない。なんとなく、踏み込むのが嫌だったのかも。適当に笑って、「本当に、業者さんじゃなくて?」なんて当たり障りのない賞賛を贈る。

「あ、私ったら。寒いでしょう、中に入って。食事を用意してあるわ。今日は頑張ったんだから。お口に合うといいけど。」

「いえいえ、俺も最近あんまりまともなもの食べてないですから。手料理というだけでテンション上がっちゃいますよ!」

吉村のもの以外、綺麗に靴が揃えられた玄関にならって靴を脱いだ後、明らかに客人用に用意されたスリッパを履いて案内されるままリビングに入る。果てしない歓迎ぶりだ。

大きな丸テーブルには、既に吉村と父親らしき人物が席についている。昼にビールがどうとか言ってた割に、食卓のど真ん中に高そうな日本酒が居座っていた。別に吉村が言って用意させたわけじゃないのは、父親の一言ですぐに分かった。

「こいつに本当に友達がいるなんてな!なんで言わなかったんだ?」

「言う必要がないから。」吉村は慣れているようで、そう返した。俺ははじめましてと挨拶をすることしかできなかった。

「まぁ、座りなさい。せっかく来たんだから。」

吉村の隣、上座にある高そうな椅子を指して吉村の父が言う。もう全員20を超えているのに、運動部の男子高校生が数人いてやっと食べ切れるかという程に揚げ物が並んだ食卓の席につくと、気の良さそうな父親が日本酒の栓を開けて母親以外のグラスに注ぐ。

「お母様はお酒飲まれないんですか?」

「やめろよ、そういうの。日高。」

「いや、俺もどう振る舞ったらいいかさぁ……。」

「いつも通りでいいんだ。」

「あー……だってよ、無視する訳にもいかねえだろ。お前の両親をさぁ。」

「お前まで偽物になったら悲しいよ、俺。」

「あっそ……。親父さん、それとお母さんも、すみません。今日はこいつと飲みに来てるんで、ちょっと失礼なことするかもス。いいですか?」

真剣な目で見たのに、座っている壮年夫婦は笑っている。だから、続けた。

「ご飯とか、酒とか、本当にありがたいんスよ。でも、俺こいつの友達なんです。そういうことなんですよ。」

夫婦は一瞬悲しそうな顔をして、黙ってしまった。

「あの、別に喋りたくないとかじゃ」

「いいよ、いつも話してない。」

遮られて、話が終わる。いつも通り、乾杯の音頭もなしに吉村が酒に口をつけた。俺もそうした。美味い酒だ。銘は知らないけど、アルバイト従事者には手が出ないものだということぐらい、わかる舌はしているつもりだ。

「んで、その……誰だっけ、高尾?って奴の結婚式の話聞かせろよ。」

「鷹野な。別に……あー、余興頼まれてみんなで踊ったわ。」

「うわ、それ最高。今踊れよ!」

「いいぜ、俺が一番キレてたからな!」

知りもしない韓国アイドルの音源をうろ覚えで動画サイトから検索して、ヤケで踊った。吉村だけが手を叩いて笑っている。

「上手くてキモいわ!どんぐらい練習したんだよ!」

「基礎練1週間、そのあと振り付け覚えるのに1ヶ月かけたな。」

「なんだそれ、暇かよ!」

「お前ほどじゃねえって!」

席について、酒を啜る。吉村はひとしきり笑った後、急にその表情を変えた。

「なぁ、日高。どうしてそこまで一生懸命に偽物やれるんだ?」

「……あー。」

気まずい沈黙。両親たちがこっちを一瞬見たような、気がした。

「言うとアレなんだが、多分俺らの方だぞ。その偽物、っての。」

「……あー。」

今度は吉村が押し黙った。グラスの酒を飲み干して、静かに置く。少し考えたふりをした後、こっちを見て笑った。

「だよな。知ってたわ。」

「でも、お前はそのままがいいだろ。」

「どうしてだ?」

「俺には無理だから。」

「そんなことはないだろ。」

「いやぁ、無理だろ。」一歩遅れて俺もグラスを空ける。遠慮なしに吉村が瓶を掴み、自分と俺のグラスになみなみ酒を流し込んだ。

「俺とは違うって?」

「似てるかも知んねぇけど、違うだろ。」

「お前、死ぬの?」

「あ?」

自分がどんな顔をしてるのかわからない。そんな話してたか?

「お前、ひとりぼっちじゃん。俺より。」

お前もさっきの話で俺と同じぐらいになったよ、と言いかける。軽口を叩きたくなくて、酒と一緒に飲み込んだ。

「俺、馬鹿だからお前が友達でいてくれたら一人じゃねぇと思えるよやっぱ。でもお前は違うんだろ。」

なら死ぬだろ。一人ってつまんねぇし。

そんなことを言って、ぐいぐいと酒を飲んでいる吉村は、今日の昼何食べたかの話をするように死の話をする。そういうところが本当に面白くて、嬉しくて、死ぬほど羨ましい。

「貞時、そろそろやめろ。日高君が困ってるだろう。」

「いや、いいんス親父さん。実は当たってるんで。」

「当たりなのかよ。」

「あー、うん。多分。彼女と別れた。就活上手くいってない。バイト先の人間関係が微妙。色々言い訳は思いつくけど、お前のが一番しっくりくる。」

「そうか。」

「あぁ、そうだ。」

「話変わるけどさぁ。」

「なんだよ。」

「結婚式呼んでくれよ。めちゃめちゃにしてやる。」

「やらねぇよ。でもそうだな、葬式だったら腕まくりして荒らしに来い。」

ぎゃははは、と笑った。そっからはくだらない話の応酬。いちいち彼女と別れた理由とか聞いてくんなよ。デリケートな話題だぞ。と言ったが、「お前本当はその女と本気じゃなかったろ」と図星をつかれて全部喋らされた。

出してもらった飯は美味かったんだと思う。けど、俺たちの嫌う「普通」の味がした。21時。俺は酔った。あいつはザルだから、けろりとしている。

「なぁ、俺そろそろ帰るわ。」

「おう。玄関先まで付き合う。」

「じゃあ、また。お酒と飯ありがとうございました。」

両親は当たり障りのない挨拶をしてきた。この顔をいつも吉村は見ているんだろうと思った。理解のできないものに恐怖する顔。そりゃ、偽物だと思うわけだ。彼らを偽物だと思うか、自分を偽物だと疑ってしまうか。俺たちの違いはそれだけだ。でも、きっとそれが何より違う。

「お前がいったら俺も一人だ。」

「そうか、そん時は地獄でも一緒に回るか?」

「いいけど、地獄には酒も飯も多分ねえぞ。」

「確かに。まぁそん時ゃ連絡する。葬式荒らしてもらわないといけないしな。」

「了解。じゃ、気をつけてな。」

「理想はふらついた勢いでトラックに轢殺。」

「それじゃ連絡できねえだろ。」

「そうだったな。」

「じゃ、また。」

「あー、また。」

玄関を出て扉を閉めると0.5秒で鍵が閉まった。本当にブレがない。門を出てから煙草を取り出し、火をつけた。ターボライターの火の形は、昼とは違って釘のように見えた。

地方の住宅街に140km/hのトラックなんている訳もなく、俺は自宅のアパートにたどり着いた。まだ酔いが残っているので、暖房をつけてから一度ベランダに出る。雛の1羽が、巣から転がり落ちて動かなくなっていた。触れるともう冷たい。

「お前も偽物だったか?」

煙を吐きながら死骸から目を逸らすと、室外機の上に紐が落ちている。拾って首に巻きつけてみた。

「ぐえ。なんてな。」

明日は3限から。ゆっくり眠れそうだ。

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