四十路欧州ひとり旅11│ベルリン│壁の跡地は突然に
2019年の春、転職のタイミングでポッカリできた長い休み。急に思い立って、夫を置いてw、3週間弱の欧州旅に出た。
あの時と今の欧州、そして世界の変容に茫然としつつ、自由に旅ができる日が必ず来ることを待ちながら、旅の道中でfacebookに書き記していたものをそのまま転記する。極個人的な旅日記。
文末に、2020年のふりかえり付。
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2019年4月11日 ·
ベルリン街歩き⑤
カフェで小腹を満たしたら、俄然元気が出たのでまた歩く。、迷いに迷ったこともあり、期せずして旧東ベルリン側から壁の跡に辿りつく。日本は平成が終わる年ですが、ベルリンでは今年で壁崩壊から30年。
途中、なんとも長い煉瓦塀の墓地があったりする道を歩いて、それが途切れたあたりにぽっかり壁の跡があり、ああたった30年ちょっと前は、この道のりを全く違う感情で歩いていた人が居たんだな、と心がシンクロしてしまう。
ちなみにここは、かつての壁をそのまま残しているところで、すぐそばには壁の歴史をわかりやすく伝える記念センターがあり、屋上に登ると、壁を上から見下ろせる。
たったこれくらいの幅だったのか、と思いつつ、たったこれだけの幅に翻弄された人たちのことに想いを馳せる。
さて。館内や壁周辺には、修学旅行生なのか、10代のドイツ人の子達が満載してて、みんなプリント持たされてなんか感想などを書いている模様。そうそう、今はめんどくさくても、この後の自由行動の時間が待ち遠しかろうとも、今の年齢でここにきて実感する意味は必ずあるぞよ、と老婆心ながら頷くおれ。
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落書きだらけの長い長いレンガ塀。この向こうは墓地だった
東側からみた壁。なにかレクチャーを受けているグループ
ベルリンの壁の東側にあるアパート? いくつも同じような建物があって、白壁にはそれぞれベルリンの壁が分断した1961年当時の様子がわかる写真が転写されている。
和解の礼拝堂。
かつて壁があった場所に、無数のポールが並んでいる
記念センターから見下ろした壁。ある日突然、鉄条網で分けられた。
ベルリンの壁記念センター
西側から見た壁
壁の隙間。
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2020年のふりかえり
悲しいまでに方向音痴な私は、このとき「いったい私はどこに向かっているのか」と思いながらてくてく歩き、石畳がデコボコだなーとか、森がきれいだなーとか、落書き派手だなー、とかとりとめもないことを考えながら歩いていたら、いつの間にかベルリンの壁後に出てしまって、そのあまりに唐突な感じと、「こんな普通の道の先にあるのか」と愕然としたのを強烈に覚えている。
ちなみに、壁の前でレクチャーを受けている人たちの写真があるが、ベルリンではこのような少人数グループのツアーをよく見かけた。交通手段はスポーツタイプの自転車。流線型のヘルメットをかぶった集団が、ガイドを先頭に街中を走っていた。自転車用の道がしっかり整備されているから、歩行者の私もそんなに危険は感じなかったな。