僕の世界では同性愛の方が「普通」だということ
「普通ってなんだろう」と思う。
普通の人。
普通の仕事。
普通の家庭。
それは、ありふれているということ。
特別じゃないということ。
仲間がいて、孤独じゃないということでもある。
他者から普通と認められることで、自分が多数派に属していると安心できたりもする。
けれど、「普通」とは変化するもの。
コミュニティや時代によって変わるもの。
普通だったはずの自分が、別の場所では好奇の目で見られたり、その逆だってありえる。
日本にいれば、髪が黒いのが普通。肌が黄色いのが普通。
なのに欧米では、あからさまにアジア人が毛嫌いされる国や地域がある。そこでは、髪が黒いのは普通じゃないから。肌が黄色いのは普通じゃないから。
「世界」はひとつじゃない。
国ごとに、街ごとに、いや、一人ひとりに「世界」は存在する。
そして、一人ひとりの世界に「普通」がある。
自分こそが「普通」だと横柄に構えたり、他人を「普通じゃない」と卑下したりするのは、なんて傲慢なことだろうと思う。
講談社から出版したエッセイ集『ゲイだけど質問ある?』を読んでくれたという大学生から、先日こんなメールを貰った。
大学で障がい者支援について勉強したり、鈴掛さんの本を読んだりしている中で、障がい者やLGBTのような偏見を持たれやすい人たちとも、個人と個人が深く知り合うことで差別や偏見はなくしていけるのではないかという考えにいたりました。
今、LGBTを研究テーマに卒業論文を書きたいと考えており、当事者の方にインタビューを行いたいと考えています。
難しいとは思いますが、鈴掛さんにインタビューをさせていただくことはできないでしょうか?
なんて素晴らしい考えと取り組みだろう。
心打たれた僕は、ZoomでのインタビューをYouTubeで配信させてもらうことを条件に、依頼を快諾した。
インタビューでは、大学生らしい率直で素直な質問を聞くことができた。
ゲイが女性に恋愛感情を抱かないのはなぜ?
学生時代にセクシュアリティの知識や情報を得た方法は?
LGBT以外の人に最低限知っておいてほしいことは?
そうだよな、普通の大学生からすれば、ゲイの僕は普通じゃないよな、研究対象になるような人間なんだよな、と改めて思った。
『ゲイだけど質問ある?』なんていう本を出しているものだから、あたかも特別な自分をひけらかしているように思われることがある。
「セクシュアリティをネタに金を稼いでいる」と、同じ当事者から揶揄されたことだって少なくない。
違うんだ。
僕は自分を特別だなんて思わない。
僕にとっては、自分がゲイであることが普通だから。
僕の世界では、同性愛が普通で、異性愛の方が普通じゃない。
もちろん、世界が僕と同じ物差しで作られていないのは百も承知。
だからこの世界では同性愛が普通じゃないとされていることも知ってる。
ただ、人の数だけ世界があり、「普通」は人の数だけ存在する。
そんな当たり前のことを、誰もが当たり前に知っていてほしいから、僕はゲイをオープンにしているんだ。
インタビューのあと、彼女にとって初めて対峙する同性愛者が僕だったことを知った。
彼女が僕の本を手に取ってくれたこと、そして彼女が「普通」は人の数だけ存在すると知ってくれたきっかけになれたことを光栄に思う。
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