家族になっておけばよかった
桜が咲いてから散ってしまうまで、誰にも会えない春がやって来るなんて思いもしなかった。
「今年は開花が早いね」とか「どの週末が晴れるかな」なんてはしゃいで友達と公園に集まったり、気になってる子を誘って桜並木を二人きりで歩いたり、そんな春が当たり前だったのに。
僕が生まれたのは、愛知県内の桜の名所として有名な春日井市というところで、市のシンボルマークにも桜が使われているくらい、春になると街のあちこちが薄紅色に染まる。
桜の花は僕にとって「大切な人といっしょに見るもの」っていう特別な存在で、東京に出て来てからも毎年そうして過ごしてきたのだけど、今年は町内の小さな公園に植わっている桜の開花から落花までを、たった一人で見届けた。
2月末から完全在宅ワークを心がけていて、やがて政府からの外出自粛要請、そして緊急事態宣言と、早いもので2カ月も、ほとんど誰にも会わない時間を過ごしている。
スーパーへ行くのは3日に1回程度で、通販で買えるものはネットで注文。最近会話した相手といえば、玄関先まで荷物を届けてくれるヤマトさんと佐川さんくらい。
行きたいところへ行けない。
会いたい人に会えない。
こんな日々がいつまで続くんだろうと不安になるけれど、世界中の人が同じ気持ちで今を耐え忍んでいるんだと思えば、塞ぎ込んでばかりもいられない。
そういえば、一人暮らしを始めて10年経ったことに気づいた。
学生のうちから実家を出る人が少なくない中、僕は箱入りの末っ子で育ってしまって、24歳で少し遅めの上京だった。
最初はホームシックになったりもしたのだけど、もともと一人の時間が好きだし、誰の目も気にしないで好きな時間に起きて、深夜まで好きなだけ文章を書いていられる暮らしは快適で、こんなことならもっと早く一人で住めば良かったって思った。
それから10年。
これまで誰ともいっしょに住むチャンスが無かったかというと、そういうわけでもなくて。
東京都内の一人暮らしには、とてもお金が掛かる。
10年くらい前はちょうどルームシェアがある種のブームになっていた。家賃を出し合って2、3人で住んでいる知り合いが何組もいて、そういうのってすごくオシャレでかっこいいと思ってた。
地元の友達が電話で急に「俺も東京行こうかな」なんて言い出すから、「じゃあいっしょに住もうよ!」って二人で盛り上がって、下北沢がいいかなとか吉祥寺かなとか、ルームシェアのための賃貸物件まで目星を付けたのに、いつのまにかそいつが上京する話すら無くなってた、なんてことがあった。
そいつが特段いい加減な奴だったってわけでもなくて、あの頃はそんな話が日常茶飯事だった。
たぶん、「東京で友達といっしょに住む」っていう夢を、みんな一度は抱いてみたかっただけなんだと思う。
この街で恋もいくつか経験して、恋人と同棲してみたいと思った瞬間が何度かあった。
特に付き合いたてのときは、1分、1秒でも多くいっしょにいたいと思うから、「二人で住んでみる?」なんて、冗談なのか本気なのか曖昧なテンションで、どちらからともなく切り出してみたりする。
けれど、付き合いたてだからこそ、そんなふうに勢いで同棲してしまっていいのかな、相手の悪いところばかり気になって上手くいかなくなるんじゃないかな、とかいろいろ気になってくる。
恋を大切に思えば思うほど慎重になって、そうこうしてるうちに恋そのものが呆気なく終わったりした。
結局、ルームシェアも同棲も経験しないまま、10年。
東京23区内、駅近、築浅物件でも一人で慎ましく暮らすくらいの収入はあるし、30代にもなったし、他人と生活を合わせるためにエネルギーを使ったりストレスを感じたりするくらいなら、このまま一人で住み続ける方がいいと思ってた。
けれど、勢いで恋人と同棲するのも悪くなかったなと、今は思う。
外出自粛に在宅ワーク。
今、世界中の人が、同僚や友人、離れて暮らす両親、恋人にすら会えない時間を過ごしている。
会えるのは、同じ家に住んでいる家族だけ。
家族なら、そばにいてくれるし、帰って来てくれる。
僕はこの家に一人で住んでいる。僕と君は家族じゃない。もしも家族だったなら会えたんだ、って気づいた。
「一人暮らし」は「いっしょに暮らしている人がいない」ということ。
そんなの当たり前なのに、そんな当たり前のことに気づくまでに10年も掛かってしまったんだ。
この見えない驚異との戦いは、あと数カ月とも、数年続くとも言われている。
数カ月後、あるいは数年後、この戦いからの学びを活かして、きっと社会は大きく変わるだろう。
会社との距離。友人との距離。家族との距離。人と人との距離。
僕と君との距離も変わっているかもしれない。
それが、今よりも少し近くなっていたらいいなと思う。
次はいつ
会えるだろうね
全休符が
ずっと続いて
いるような歌
あらゆる言葉が無料で読める時代。 それでも、もしも「読んでよかった!」と思っていただけたら、ぜひサポートお願いします。 また新しい言葉を書くために、大切に使わせていただきます。