海からもらったお守りを手に。
私の左のポケットには海がある。
紺色のタフタの春コート。
何の気なしにポケットに手を入れると、
軽くて硬い貝殻に指先が触れた。
その瞬間
波音が耳の中でこだまして、
ああそうだったな
思いつきで海を見に行ったのだったなと、
まだ寒さの残る晴れた早春の午後のことが
そのままに思い出された。
時々無性に海を見たくなる時があるのだ。
そうなったらもう海へ行かない限り、
渇望が癒えることはない。
はるかな水平線に
煌めくプラチナの光が浮かんでいたこと。
遮るもののない広い空で
風と鴎が戯れあっていたこと。
小さな子供が一心不乱に
やがては崩れる儚い砂山を作っていたこと。
そんなものがいっぺんに
架空のスクリーンに映し出される。
高い波とは裏腹に
自分の心が穏やかに凪いでゆくのを
感じていたのだった。
♢
手のひらの真ん中の窪みより
少し大きな貝殻は、
白い二枚貝の片割れだ。
表面の、規則正しく縦に並んだ溝に、
時々境い目が横切る。
荒波にもまれた歳月の印がこの貝に残されていて、
部屋の片隅で知らない貝の過去を
私が手にしている不思議さを思う。
身に余る喜びと、大きな失望と。
潰えた希望と、身の廻りに溢れる優しさと。
良いこと辛いことの両方が
私のかたちを創り上げてきた、
春から春への一年間。
その時にあった感情の凹凸が
貝殻の模様と重なった。
♢
あの日
海を見に行きたかったのは、
何もかもを解き放ち
裸の心を剥き出しにして、
全身に海の匂いと風を浴びたかったから。
そうすることで生まれ変われるほど
お手軽なものじゃないと知ってはいたけれど、
間違いなく精神は洗われた。
海には怖さと強さと、浄化作用があるようだ。
日頃は海とは無縁の場所に住む私でさえ
海を少し懐かしく感じるのは、
幼い頃の郷愁のせいか、
それとも太古から刻まれた本能のせいか。
行きたくなったらすぐに海へ。
それがなかなか叶わなくても、
確かに海の記憶が刻まれている貝殻が
左手の中にある限り、
私はほんの少し救われている。
この貝殻は、私のお守りみたいなもの。
今日も想像の海辺では、
小さな子供が砂を掘ったり
山を築いたりしているし、
老夫婦がラブラドールレトリバーを散歩させながら
談笑している。
ビーチサンダルにはまだ早い。
それでも海の正装を気取って
ざゃりざゃり砂浜を歩いていきたい。
サンダルが砂を噛む音を心待ちにしながら、
私は貝殻を指でそっと撫でる。
そうして次の春からも
なんとかこの現実世界を泳いでゆくことを
心に決めるのだ。