「嫌われる勇気」を読んでも、嫌われるのは怖いあなたへ
自己啓発本を読んだとて、根底の自分は変わらない
「ミニマリスト」の本を読んでもミニマリストにはなれないし、
「嫌われる勇気」を読んでも人に嫌われるのが怖い。
人って、そういうものだと思う。
先日初めてお会いした人で、結構アクの強い人がいた。
悪い人ではないのだけど、なんだろう、癖が強い。
わたしが「マッチングアプリでお会いする人が…結構その…お会いする人がほぼ皆さん小柄で…」と言葉を選んで話すと、「チビは器まで小さいんですよ!!だから辞めておいた方が良い!」を連発する。
結構過激的な発言をしていた。
彼女はダメ男に振り回される人生が嫌で、いま婚活を頑張っているという。
その中で「わたしは元から呪ってやる!っていうタイプだけど、頑張って人の良いところを見つけようとしてるんです」と言っていた。
恐らく先天的には呪ってやる!タイプで、後天的に善性を身につけようとしているタイプだろうと思う。
で、セミナーに通って頑張って自分を変えようとしているのだと言う。
でも、相手を批判する姿勢は根強く残っているようだったし、幾ら本やセミナーでそこを変えようとしても素が滲み出てしまうのだと思う。
もちろん、褒め上手な面も彼女にはあった。
長所もあるけど、短所は中々変えられないよね、というだけの話。
なぜこのような人と出会えたのかは下記から読めます!↓
さて、ここからが本題である。
反論は、正しいのか?
絶対相手にも悪いところがあると思った場合、あなたはそれを口に出しますか?
優しい人や気遣いが出来る人には絶対そんなこと言わない。
でも、嫌なことを言ってきた人が悪い。
相手が先に理不尽なことをしたんだがら、それに対して思うところがあればキチンと表明の意を示す。
かつてのわたしはこのような考えだった。
しかし、今となってはこう思う。
主張をするのは勝手だが、その後起こりうる不利な状況の数々を覚悟の上で反論しなさいよ、と。
上司側にとって不利な主張を受け止めてもらえるか、それとも反撃されるのかは上司の良心に委ねられている。
相手の態度が変わるか否かは、目に見えない「良心」だけなのだ。
わたしはそれに気づいた時、すごくうすら寒い気持ちになった。
薄氷の下をフラフラと歩いているようだった。
今、ツイッターを見ていたらこんな呟きを見つけて、言いたいことと似ていたので、貼り付けておく。
まっとうな上司なら、自分に不利な主張を聞いて「悪かった」とそれを受け入れてくれるだろう。
でも、大多数の人間は違う。
正論こそ、一番痛いもの。
議論をする上で、相手への逃げ場を与えておいた方が良い、というのはよく聞く話だ。
逃げ場をふさいだ状況で自分の主張をまくし立てた場合、普通に嫌われて終わるだろう。
その正論を上司(格上)ではなく、部下(格下)がぶつけた場合、上司側からの反発は覚悟しなくてはならない。
口では「確かに○○さんの言うことも一理あるね」と言う言葉をかけながらも、上司の腸は煮えくり返っていることだろう。
主張を通して相手を納得させられた時こそ、注意が必要である。
なぜなら、理屈の上で相手を「負かせている」からだ。
相手は「負かされた」ことをずっと忘れない。
心にずっと燻ったものが残る。
「コイツも悪いことをしてきたくせに生意気だ」というレッテルを貼られるし、上司と仲の良い人間に自分のことを悪しざまに言われるくらいは覚悟しておいた方が良いだろう。
今まで自分と話してきたことのない人が、自分へ見る目が変わる。
残念ながら、その状況は存在し得る。
仕事に私情を持ち込むな?
よく聞かれる話ですよね。
残念ながら、バリバリみんな私情を挟んで仕事をしますよ。
自分の好意のあるなしを抜きに仕事を進めるという人はまだまだ少数派であるということを覚えておこう。
それでも、耐えるのが正義なのか?
「いや、自分間違ったこと言ってないのに!」と思う時も少なからずある。
その気持ちを押し殺すときの気持ちは得てして「理不尽」という言葉で表現される。
でも、上司に口答えをしないという不文律はやはり存在する。
その不文律を破るのは勝手だが、破るとその後の交友関係は極めて劣悪になる。
これ、交友関係を上手く築いてこなかった人や、部活などである程度の「理不尽」に耐えたことのない人にとっては、初めて聞く不文律かもしれない。
というのも、かく言うわたしこそが、それで失敗した人間なのだ。
理不尽な状況に遭うと、その状況を整理し(そこで終わっときゃ良いのに)その文面を(大元の)上司に提出する悪癖がある。
(直属の上司には言わない)
今思えば、これは「わたしへ取った言動は客観的に見て悪意がある」ということを第三者に納得させるための理屈だったと思う。
そのような状況提出が100%間違っているとは言わない。
例えば給料未払い問題などが発生した時には、状況を纏めて提出することが求められるだろう。
しかしながら、それを第三者がそれを聞いた時、大体の人はこう思うであろう。
「そこまでするか?」と。
で、結局のところ、わたしはそれで上手くいかなかったのである。
その会社は、ずっと残っている上司を取った。
「うちの企業のフォローアップ体制は確かに足りてないところもある。そこは認めるが、その上司と合わせてもらうしかあなたに残された道はない」ということをハッキリとわたしへ提示した。
つまり、我慢して迎合するか、スパッと辞めるかの二択しか道は存在しなかったのである。
自分もかも、と心当たりがある人はそのような状況を予想した上で臨戦態勢を取るか考えてみて欲しい。
大多数の人間は、「嫌われる勇気」を読んでも嫌われるのが怖い。
そういうものだと思う。
だったらまあ、自分のポリシーに大いに背いているところは戦うというのもアリだが、「黙って従いましょうね」ということには黙って従うべきなのだろう。
この日本で社会の歯車として働くならば。
何でも口に出せば良いってもんじゃない。
昨今、溢れているメディアには、正義は必ず勝つ、正しいことは最後は受け入れられるというメッセージが込められていることが多いなと思う。
特に韓国ドラマなんかではそれが顕著だ。
「わたしの夫と結婚して」とか「ザ・グローリー」とか。
でも、現実は違う。
正しいところは正しいし、間違っていることは間違っている。
白と黒がグレーになって、入り乱れている。
どちらの主張もある意味では正しいのだ。
だからこそ、第三の選択肢「沈黙」を行動ステータスの中に加えておきたいものだ。
もしくは、部下が反論したとしてもそれを受け止めてくれるような度量の深い人が集まる会社へ転職するために奮闘するか、である。