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「逃げても良い」、退職代行で思うことなど


最近横行している「逃げても良いよ」という風潮について考えを述べたい。

例えば、会社。


会社で嫌なことがあり過ぎて我慢が出来ずに辞めたというのはよくある話だが、自分でリスクをこまごま精査した上で辞めた方が良いと切に思う。
転職しても良いかな、このままでも良いのかな、みたいな時期って辞めるべきじゃない。
辞めるのは、内定が出てからでいいと思う。


今の会社に受かった時、すごく嬉しかったと思うんだよね。

その喜びをみすみす手放していいのかな?

そして、転職活動では3週間ほど合否が出るのに時間がかかる。

その間、ずっとその会社に受かるのか落ちるのか、適性検査はどうだったのかを考え続けなければならないのだ。

しかも無職になったら何しろ暇なので、無為な時間を噛みしめつつ、自分の思考に思いを巡らせなければいけない。
これ、本当に辛い。

わたしは人より感情のアンテナが立っている方なので、よりそのしんどさは倍増する。

だからこそ、自分はストレス耐性が低いというタイプはみすみす定職という安定性を手放すことはしない方が良いと考える。

無職だと、転職活動中に色々思い悩むことがある。しんどい。

で、転職が成功したとて、その職場で色々辛いことが待ち受けているということだ。

つまり、何処に行ったってしんどいのである。



わたしが気にし過ぎなのかもしれないけれど、知り合いの人からこんな言葉をかけられたことがある。
その時、わたしは学生として学校に通う立場であった。

わたしはその人にとってはお客さんなんだけど、勉強している旨を伝えた時、こう言われた。


「え、そうなんですね!わたしも経験あるんですけど、ずっとぼーっと家に居るの、しんどくなって来ません?わたし何もしてないな~みたいな。わたし働かないと無理やなと思いました!」と彼女はあっけらかんと告げた。

わたしは、その言葉がずっと引っ掛かっている。

正直、その言葉でその人の居る店にはあまり行きたくなくなった。

その人は前提として、あまり深く物事を考えるタイプではない。
わたしへの当てこすりで言っているわけではないのだ。
それくらいは分かる。

だから、本当に、自分の思ったままをそのまま口に出しただけだと思う。


ただ、わたしはそれを聞いて不愉快だったし、「あまり深く付き合いたくないな」と思った。


人の置かれている状況を慮ろうとせず、考慮なしに言葉を口にするその神経が、自分とは相いれないものだと感じた。



嫌な環境から抜け出せたとしても、社会に属さないと生きていけないわたしたちは新たな場所を探しに行くだろう。

そして、その新たな場所探しは苦戦を強いられる。


そして、その新たな場所探しの最中に、外野から謂れのない言葉が突き刺さる。

わたしが先ほどご紹介した一言なんて可愛いものだろう。
なんせ本人に悪意がないのだから。
人が悪意を持って、誰かの心に爪を立てようとする時、どれほどの痛みを伴うのかは知っているつもりだ。


脱線するかもしれないが、今流行の退職代行にはわたしは大変懐疑的である。

ブラックで残業が100時間、もう殺されそう、などというケースは除く。

ただ、わたしは知っている。

そんなヤバい会社、少ないよね?

「顔も見せたくない、何もしたくない、ただもう行きたくない!」

まるっきり子どもではないか。
子どもが大人の財力を手にして、嫌なことを外部に肩代わりさせているに等しい。

わたしは短期離職だったけれど、会社の人事部の人と何度も話し合い、もうここには居られない、と決意して辞めた。

退職代行サービスを使って辞めましたというのは言わない方が良いという人材業界の社長のyoutubeに沢山のコメントが付いた。

そもそもそんな退職代行を使われる会社に問題があるんだ。
辞めたくても辞めさせてもらえないからこの退職代行を使ったんだ。

など、沢山のコメントが散見された。

その「辞めさせてもらえない」の詳細として、「配属ガチャが失敗で辞めたい」とか、3か月目で辞めたいという新人に対して「もう少し頑張ってみよう」という会社の温情をも「辞めさせてもらえない」にカテゴライズされているのではないか?


ここじゃない何処か遠くに行きたい、という欲求に流されるのは簡単だ。

でも、自分の尻は自分で拭かなければならないのだ。


なんとなく、転職したい。

そんな気持ちなら、まだ貴方は動かない方が良い。

そう思う。

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