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「すべての言葉は中古品です。」

「すべての言葉は中古品です。」
インスタをフォローしている山口祥子さんの投稿で目にした言葉。

「ことばは大昔からみんなが使ってきたにも関わらず、決して使い古されることはない摩訶不思議なツール」とつづる祥子さんの言葉を、どうにか自分の中で感じたくて、メモに書き殴った。

思いを表現するとき、それを伝えるときに用いるツールの「言葉」。
誰もが使えて、誰もが理解できるからこそ、自分らしさがないような気がしていた。
きっと求めていたのは「誰も聞いたことのない新発見のことば」だったと気づいたのも祥子さんの言葉から。そんなものないはずなのに。


最近、忘れたくないけど心が痛くて寂しい出来事が家族に起きた。
どんなふうに声をかけたらいいのかわからず、泣くことでしか表現できなかったあの日。自分の心を表す言葉が見つからずに、ひたすら目をそらしていた。寂しさに耐え忍ぶことは、誰にとっても容易ではなく、どんなに美味しいものを食べても、どんなに思い出を語っても、ちょっとしたことで大笑いしても、それが消えることはなかった。だけど、家族が抱える寂しさを一緒に分け合えたような気がした一週間だった。

人の話を聞く中で、自分の中にある昇華できない思いにぴたりと一致する言葉が目の前に現れることがあった。その思いと言葉が手を取り合って私の重たい荷物から離れていく感覚があった。

自分の日常に戻ってきたとき、家族と離れ、家族のためにできることがなくて、もどかしい気持ちがあった。離れた地で生活することを選んだ自分は間違いだったのかもしれないとも思った。
しかし、驚くタイミングでメッセージをくれた友人の「おかえりなさい」の一言に救われた。

こんな出来事が続いて、言葉で救われることが多かったと日記をつけていて思った。それは「誰も聞いたことのない新発見のことば」ではなく、昔から当たり前のようにずっと聞いてきた言葉たちだった。その言葉を誰が使うか、どんな思いで使っているか。全てが乗っかって届いているから救われたのかもしれない。

確かなのは、少しもこぼしたくないほど抱えきれない何かを受け止めて、またここに戻ってきたということ。

そのまま生活に戻ろう。


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