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26歳の私が過ごしたひいおばちゃんとの最期の時間。

先週の火曜日、ひいおばあちゃんが危ないと連絡がきた。
コロナ禍や施設入院もあって、なかなか会うことができていなかったひいおばあちゃん。
「会いに帰ったほうがいいよね」「でも私が帰ったところで何もできないし」とかぐるぐる考えた結果、今できることをそれぞれの場所で。と仕事へ向かうことにした。

連絡の後、ひいおばあちゃんは頑張ってくれて、意識はないものの落ち着いていた。だから、今月末の帰省のときに会いに行けるんじゃないかなと勝手にそう思っていた。
お別れの準備期間。そんなことを思いながら過ごした3日間は、長いようであっという間に過ぎていった。

金曜日の朝、母からの連絡。それは、お通夜とお葬式の日程の知らせだった。その瞬間、後悔と悲しみと何かの不安に押しつぶされて泣いた。
自分で選択したことなのに、悔しかった。
もしかしたら、ひいおばあちゃんは会いに来るのを待ってたんじゃないかな。早く帰らないといけなかったんじゃないかなとか、家族を大切にしたいと言いながら結局会えないままだったじゃん。とか。

その後は、すぐに真っ黒のワンピースに着替えて新幹線へ乗った。お通夜の会場で読み上げられるお経を聞きながら、ずっとひいおばあちゃんのことを考えていた。

遊びに行くと「よく来たね」とわたしの背中をさすりながら歓迎してくれたこと。お母さんたちがいない台所でティッシュに包まれたお小遣いを渡してくれたこと。断ろうとするわたしたちに「内緒だよ」とくしゃっとした子どもっぽい笑顔で笑ってくれたこと。綺麗な鞠を作ってくれたこと。赤いチェック柄の小さなトートバックをくれたこと。ひいおばあちゃんの鏡台の前で遊んだこと。お腹いっぱいになるまで、料理を出してくれたこと。成長期のわたしたちと背くらべをして、どんどん小さくなるひいおばあちゃんを見てきたこと。「とっても優しい人と結婚したんだよ」って、ちゃんと紹介したかったなあ。とか、「ありゃあ〜、おめでと〜」っ喜んでくれそうだなあ、とか。
いっぱい、いっぱい考えていた。久しぶりに会う親戚の人たちともたくさん話した。ひいおばあちゃんがくれた時間だと思って、穏やかで賑やかな時間を過ごした。
きっと久しぶりに親戚みんなで過ごしたあの夜は、ひいおばあちゃんも楽しかったんじゃないかな。

呼吸しても体に取り込まれず循環しない、あの感じを久々に感じた6日間。
苦しかったし、自分の弱さを知った。
もっと自分にできることがあったんじゃないか。もっと時間を作って会いに行くべきだったんじゃないか。そんなふうに後悔するなんて自分勝手だなあと自分を責めることもあった。

お葬式に参加して、ひいおばあちゃんとの最期の時間も過ごし、京都に戻ってきたのに、まだどこか気持ちが沈んでいた。
ずっと落ち込むことはできない。お腹は空くし、面白いことだって起きる。だけど、ふとしたときに、真っ黒いやつにぐるっと囲まれてしまう。誰にもうまく話せずに何かしらで気を紛らわせていたけど、正直に書こうとnoteを開いた。

今回のことで学んだこと、とかこれからはこうする、とかそんなことはなくて。26歳のわたしが感じたことをそのまま正直に書くとこんな感じってことを残そうと思う。

ゆっくり、自分の気持ちのままに動いて、またいつもの生活に戻ろうと思う。


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