書く選択肢を捨てたわけじゃない
こんばんは。お久しぶりです。
この写真は、今日食べた豆腐ドーナツと紅茶。
ドーナッツはリベイクして食べました。
では、ちょっと考えたことを話します。
まず、noteを開いたのが数週間ぶりで驚いています。
4月から始めたお仕事に精一杯で書くことや読むことにまで手が回らなかった、そんな最近。
みなさんはどんな春をすごしていましたか?
最近のわたしは、スマホのアプリやデータの断捨離をしてみたり、鞄や仕事場のデスクの中を整理整頓してみたりと自分に余白をつくろうとしていることに気がつきました。
整理していて気づいたのですが、鞄に2冊小説が入っていたんです。
入れたのは、きっと4月の初め。まだ仕事量が少なくて、休憩時間に読み進めようとしていたものだった、と5月末の私は思い出しました。
文庫本2冊なんて、ちょっとした重さだろうけど、毎日重たい鞄で通勤していたわたしは「なんだ、荷物が増えてたんじゃん」と、ちょっと後悔。
だけど、いざ本棚に戻そうとするとそれは違って。
多分、わたしは「本を読む」という選択肢を自分の中につくっていて、今はそれを選択していないだけ。本を置いていくということは、その選択肢すら選べなくなるということ。だから、ちょっと重たくても入れておきたいかも…と違う1冊を選んで鞄にしまいました。
同じように、今わたしは「教える」や「働く」という選択肢を選んでいて、それを全うするために日々がんばっています。だから今は「書く」という選択肢を選んでいないだけで、実はちゃんと手元には残っているんだよ、と自分で考えながら安心したんです。
「もう書かないの?書くこと進んでないよ?」と自分を焦らせてしまうときもあったけど、選択肢はちゃんとまだ手元にある。それに気づいたとき、無性にnoteが書きたくなりました。書けなくなったわけじゃなかった。久しぶりに書くことができて、心が喜んでいるのがわかります。
自分の気持ちに向き合いながら等身大のわたしが言葉を選んで、打って、消して、また選んで。という行為がとても心地よく感じます。久しぶりすぎて溢れる言葉たちに追いつかない感じさえします。
久しぶりに思考を言葉で表したから、うまく伝えられているかわかりません。ただ、自分が今もっている選択肢を思い出しただけで、ちょっと気分が上がった。その記録をここに残したいと思います。