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牛と暮らした日々-そこにあった句#08 牛の死
牛死せり片眼は蒲公英に触れて 鈴木牛後
(うししせりかためはたんぽぽにふれて)
牛の死は慣れる。
喜びも悲しみも恋愛も3年経ったら慣れる(さめる)といわれているが、牛の死もそうだ。
もともと経済動物で仕事で飼っているところに、1年に10頭前後入れ替えるので、慣れるのだ。(そのほとんどが肉用として、歩いて家畜車に乗り売られていくのだが)
牛が好きで新規就農したような人は、可愛がっている牛が死ぬと気持ちの整理が大変そうに見えるので、この「慣れ」も人によりけりかな。(私たち夫婦はけっこうドライ)
さて、うちでは放牧地から牛を牛舎に入れたら必ず数を数える。数が合っているとその日の搾乳が順調に始まるのだが、合っていないとそれからが搾乳前のひと仕事だ。
2、3頭戻ってこないのは、まだ残って草を食っているのだと安心しているが、1頭だけ戻って来ないと、とっても嫌な気持ちになる。
牛は群れで行動する動物なので、1頭だけ戻って来ないというのは、何か、のっぴきならない事情が出来たからなのだ。
2人で放牧地へ帰って来ない牛を探しに行くのだが、見つけなきゃならないのに、発見したいようなしたくないような気分で、ずっとドキドキしている。
今まであったのは、杭や木に首のチェーンが引っかかって取れなくなって置いて行かれた。草を食って歩いているうちに、ひょんなことで隣の牧区に入ってしまって出られなくなった。放牧地で仔牛が生まれてしまい、仔牛から離れられない。というようなことだった。
あるいは、何も原因がないのに1頭ぽつんと残って草を食っていて帰って来ない牛もいた。(たまにこういう変人ならぬ変牛がいるのだが、こういう牛は放牧に向かないので売ってしまう)
足を痛めてしまって皆と同じ速度では歩いて帰って来れない牛もいた。(この牛は人間が付き添ってゆっくり山を降りて連れて帰ったが、1時間以上かかった)
放牧地で分娩後の起立不能(腰抜け)になってしまっていたことなどもあった。(獣医さんに放牧地まで出張してもらい治療してもらった)
そして、放牧地での突然死だ。
これを見つけた時は、いくら慣れているといってもショックだった。
朝まで元気だったからだ。
良い牛だった。気性も穏やかで癖がなく、体型も乳房の大きさも丁度良く、乳頭の配置と大きさが搾乳しやすい牛だった。こういうのは娘牛に遺伝するので、「これからこの牛の子孫をたくさん増やしていこうね~」と夫と話していたところだった。
結局、原因は分からなかった。
たまにはこういうことがあるんだと覚悟し、諦めた。
今でも毎朝毎夕、牛の数を数えているが、数が合っているとほっとする。
永き日やばふうと深き牛の息 牛後
(ながきひやばふうとふかきうしのいき)