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ヨガの快楽と苦痛 -【執着はどこから生まれるのか】

今日は執着についてヨガの教えをシェアします。


結論から言うと
物質的なものは非永続的な幸せしか与えてくれない


私はこのヨガの教えに出会って
物質的なものへの執着や捉え方がものすごく変わりました。

「執着がない」

と言うのは、
じゃあ一切何も持ってないの?!ということではなく

もし失ったとしてもOK大丈夫!ということ

ヨガスートラでパタンジャリが説いている
5つのクレーシャ(障害・煩悩)がとても面白いのでシェアしますね

無知
我想(エゴ)
執着
憎悪
生命欲

<自己>への無知からエゴイズムが現れる
エゴイズムのゆえに自我の私的享楽物への執着が存在する
執着するものが得られなかったり、奪われたりすると憎悪が生まれる
物質に執着し、死への恐怖がゆえに身体の生命に固執する

初めてこれを勉強した時は私がヨガの資格トレーニングをバリ島で受けている時

うんうん、ふむふむ。
なんとなく分かるけど難しい〜

でしたが、今は捉え方は少し違います。

この教えを日常やヨガの中で
体験してきたので感覚レベルで腑に落ちるのです。

なので今は全くブランド物に興味がなく
お財布やバッグ、持ち物は機能性を考えて
化粧品もブランドは一切なく
肌に優しくて自分に合う十分な最低限のもの

もし失ってしまったら
また必要なものは手に入れるだけ

しがみついたり、固執したり
ずっと依存し続けない


それは物だけでなく、人間関係、恋愛
外見や容姿、地位や名声、SNSでのフォロワー数など

そういったものにも当てはまっています

なぜ執着してしまっているか
なぜ失ったら怖いのか

それは<自己>を知らないからです
全ては自分の中に答えがあります

そうヨガスートラでパタンジャリが説いています。


最後までありがとうございます。

このあとも感謝と幸せな時間となりますように。

Namasute
すずはる

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