原動力としての怒り

私は「怒り」という感情を嫌っているし、恐れている。

ただし、その怒りは外部にあるもの、つまり他者が発している怒りである。

対して自分が持つ怒りについて考えてみると、そもそもネガティブな感情を持ちたくないという前提から反射的に嫌悪感が現れるが、よくよく振り返ってみると自分は怒りを活用しながら生きてきたのかもしれないと思った。

活用とはつまり、原動力として用いながら生きてきたということである。

そして、怒りは自分の価値や目標と密接している可能性も感じ始めた。

ここから私の過去をみていきたい。

中学受験

私は小学6年生の頃受験をして、通常の進学先とは別の中学を選んだ。

その理由は様々で、なるべく勉強のレベルが高いところに行ってみたいとか、単なるチャレンジ精神とかだったかもしれない。正直、「正当」な理由はあまり覚えていないのである。しかし、今でもはっきりとおぼえているのは嫌いな友人に対する嫌悪と逃避である。

小学生の間中頭を悩ませていた友人がいたので、その子から物理的に離れるために必死だった。

悩まされ続けた6年間分の怒りと悲しみをモチベーションにして勉強や対策を頑張った。

怒りというモチベーションは非常に便利で、やる気がなくなったとき、悲しいことに前向きな目標よりも怒りを思い出すことのほうが遥かに簡単で実感も強いのである。おそらく、目標は未来の話で想像で補うしかないけれど、怒りは実際の経験から生まれたものであるから、リアルさが圧倒的に強いのだろう。不健全。

友人も同じ学校を受験すると聞いたときは逆に通常の進学先を選ぼうかと思ったくらいであったが、結果、どうにか私は合格し、友人は不合格という結果になった。

合格したという事実よりも、開放されたことに対する喜びのほうが大きかった気がする。

家が近かったので卒業後も何度か通学中などに顔を合わせる機会があってしまったが、生み出した距離のおかげで比較的冷静に関わり、話すことができた気がする。(嫌いな人なら話さなきゃいいじゃんと思いますよね。でもなぜか話すんです。理由はわからないです。もしかしたら本当に嫌いではなかったのかも。今となっては友人の良さも認めているつもりです。)

大学受験

あまり振り返りたくないので詳しくは書かないが、おそらく大学受験のモチベーションの殆ども、本当は学校や社会に対する怒りや嫌悪だったかもしれない。大学を選んだ理由をいざ質問されたら文理融合、国際関係うんぬんが魅力的、などと口がしゃべるのだが(信頼している人は別)。

ふと思い出すと、特に勉強すること以外が辛かった受験期、モチベーションを保てたのは友人と「怒りの共有」をしていたからかもしれない。

実際何をしていたかって、放課後一緒にカフェにいって勉強しながらだべっていただけなのだが、あの時間は自分にとって本当に宝物だった。あの時間がなければ、私は受験失敗どころか人生が文字通り終了していたと思う。

変なプライドで申し訳ないが、その「だべり」は俗に言う愚痴大会とは違うものであったと主張したい。

なかなか文章で表現するのは困難だが、だべりを通じて友人と怒りを共有することは単なるストレス解消ではなく、自分の大切にすべき価値や立ち向かうべきものを明確化することにとても意味のある行動だったと思っている。

いま

こんなふうに、不健全かもしれないが私は怒りを原動力に生きてきた面も少なくなかったと感じている。

思えば、今大学でやろうとしている研究のきっかけも日本のメンタルヘルスや自分が受けてきた対応に対する怒りだったりする。

自分の中で怒りはどちらかというとポジティブな感情で、自己批判や反省からの原動力よりも前向きになりやすいし、それ以上に落ち込みにくい。さらに(これもどうかと思うが)たいてい怒りの矛先は他者や自分以外に向くので、自己肯定感を落としにくい。

もし、いつも自分を批判してしまって、自分を責めながら頑張っている人がいれば、たまには矛先を自分以外に向けてもよいかもしれない。これはあくまで他者を悪者にしてしまおうということではなく、今まで自分に向けすぎてきた矛先を外に向けて、少し楽になってもいいんじゃない?という提案である。

怒りが憎悪や殺意に代わってしまうとそれは不健全どころか病的なので、そうなってしまう前に専門家や信頼できる人に相談したほうが良い(私もたまに危ないときがあります)。

以上が私の原動力の一つである「怒り」についてだ。

最近またちょっと落ち気味(闇気味)なので、自分の大切にしたい価値はなんだったのか、怒りに手伝ってもらって思い出しながら頑張って生きたいと思う。

これは私のひとつの経験談であり、リスクも大きいので、すべての人に推奨できるやり方ではないので十分注意していただきたい。


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すちゃ
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