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葬儀の曲は『わが人生に悔いなし』

卍易風水師、
時々はちみつ代理店、
双子男子の母、澄恵です。

今日の記事も
自分の気持ちを整理するために
書いております。
読む気分じゃない方もおられると思うので
ぜひ他の皆様のnoteを読んでくださいね。


喪服を持ってなくて、ユニクロに連れて行かれる

一つ前の記事で
シンガポールから帰国して
父の葬儀に駆けつけたことを書きました。

常夏のシンガポールに旅行していたので
喪服なんて持ってるはずもなく。
深夜シンガポールから羽田空港へ、
早朝羽田空港から岡山空港に移動する道中、
東京の自宅に立ち寄る時間もなく、
着の身着のまま、リュック一つで帰省しました。

こんなかっこう。

子どもが撮ってくれた写真。
父の死を知った翌日で、
もぬけの殻という感じ。
我ながら、空っぽな笑顔だなぁ。

まぁ、一応黒っぽいスニーカーに
(キラキラな星がついてるけど)、
黒地のズボンに
(キラキラ鉱石模様で
サイドにキラキラスパンコールついてるけど)、
黒地のロンT
(もちろん派手な模様つき)で帰りまして。

それでも20万円近くかけて
シンガポールから急遽帰省したのだから
許してもらえるだろうし
「父だって喜んでる!」と思ったわけです。

そしたら「それで行くのか?」
と弟にも母にも言われました。

今回、家族葬なので
参列するのは
母、弟家族、私のみです。

「え、誰が気にするの?」
と思ったら身近な人に気にされて
ユニクロ連れて行かれて
黒のワンピ買いました(もちろん自腹)。

私、今、片づけ祭をしています。
お洋服の審美眼を高めて
厳選に厳選を重ねたクローゼット作りを
している中、
今回しか着ない服を買うことに抵抗を覚えました。

お金じゃないんです。
お金を気にするなら
シンガポールから帰国しません。

葬儀のためとはいえ、
好みじゃない
ときめかない服を迎えるのが
嫌だったんです。

でもまぁ、葬儀の準主役とも言える
母と弟が嫌がるので
やむなく、ワンピースを買いました。
本当、渋々です。

「お父さん、私が着る服気になった?
 嫌だった?」

もはや魂となった父が
そんな人間のしきたりとかルールみたいなの
気にしないと思うんだよなぁと考えつつも
葬儀は遺された人のためのもの。
生きてる人の意向を、一応、大切にしました。

で、そのまま黒ワンピは岡山の家に
置いてきました。
別にそのワンピが嫌いなわけではないですが
東京に、ときめく喪服がありますし。

こーゆーところ、
すごくこだわりがあるし
強烈な個性だなって思いますが
そんな自分が好きです。

棺に眠った父の顔

さて、脱線しましたが、
自宅に着き、すぐに黒ワンピに着替え
斎場に移動。

なんとなく
棺に入った父の顔を見るのが怖かったです。
苦しそうな顔をしてたら嫌だなとか
死んだ人がこわい、みたいな。

そして、父を見たら、
うれしそうに眠っていました。

子どもが満足げに
うれしそうに眠る表情と同じ。

「なに、そんなうれしそうな顔をして〜!」
と思ってしまいました。
ホッとしました。

葬儀にかける曲は『わが人生に悔いなし』

父は「わしの葬儀には
石原裕次郎の『わが人生に悔いなし』を
かけてくれえ」

と言っていたそうです。

↑この曲。
ご存知・・・ないですよね。
私も葬儀で初めて聞きました。

もっと雄々しい勇気に満ち溢れた曲かと思いきや
肚にすわった覚悟をうたう
静かな曲調が意外でした。

そうか、人生に悔いがなかったのか。

肝臓がんになって6年目でした。
病名を聞いた日から
大好きなお酒を一滴も飲まず
治療をしてきました。

現役時代、
平日は夜遅くまで、土日も仕事をやりきり
毎年仕事で表彰され、
2人の子ども(私と弟)は結婚して
孫4名に会えて
最後はお酒も我慢した数年。

75歳の円熟したしあわせというものは
私には想像もつきません。

子どもと手をつないで歩きながら
「ママ、ママ」と呼ばれて
一緒にご飯を食べる日々が
どんなにしあわせなことなのだろうと
父の訃報を受けてから
何度も感じました。


父もこんなふうに手をつなぎ
しあわせを感じてくれていたのかなぁと
想像したり。

夫がほぼ毎週出張していて
双子の育児や家事はラクではないけれど
それでもどんなにありがたい
しあわせな時間なのでしょう。

子どもの歯の仕上げ磨きに毎晩15分。
姿勢もしんどいし、
「なんて大変なんだ!」と
ほぼ毎晩思うのですが、
そんな時間さえ、ありがたい
いつか終わりのくることなのです。

私や弟は18才で一人暮らしを始め、
そこから30年の父の生活は
どんなふうであったのでしょう。

でも、父は葬儀にかける曲に
『わが人生に悔いなし』を選んでくれました。

「お父さんは悔いがなかったんだ!」
と思えたら、本当にほっとしました。

この曲を選ぶこと自体が
残された家族への愛そのものに感じました。

「なんで癌になったんだろう」
「なんでこんなに早く死ぬのだろう」
「なんでこんなに苦しいのだろう」

といったことを感じた時間も
あるかもしれない。

だとしても、
「わが人生に悔いなし!」
と言い切れるのなら
本当に素晴らしいし
非常に尊いことだと感じました。

これが、今回父の魂が選んだ物語
だったんだ。

私は「もっとこまめに帰省していたら」
「LINE電話ももっと何度もしていたら」
と思ったりします。
後悔するとわかっていても
そんな日々を過ごしてきました。

でもそんな私の後悔も吹っ飛ばすような
父の選曲に非常に励まされ
癒されました。

お父さん、ありがとう。

斎場から火葬場へ

葬儀を終え、
斎場を出て火葬場に移動する時のお話。

最近霊柩車を見かけないと思ったら
昔ながらの屋台型霊柩車は
流行らないそうで。
(「屋台型」とゆーらしく、初耳)

霊柩車とはわからない
黒の大きめのワンボックスカーで
運ばれていきました。

霊柩車が斎場から出発する時、
片道三車線の道路の交通を
全て止めるのです。
赤信号でもないのに
三車線のトラックや車が何台も並んで
クラクションも鳴らさず
止まってくれた姿にじーんとしました。

斎場から葬儀の度に、
出発する車を関係ない車の方々が
いつも止まってくれていたとは。

悲しみにある車だからこそ
文句も言わずに
仕事中でも急いでいても
見守り、見送ってくださる
たくさんのお車の皆様に感謝が湧きます。

美術館のような火葬場

さて、近場の火葬場は
葬儀会社さんも驚く初めてのトラブルで
使えないため、
車で1時間かけて山の中にある火葬場へ。

自治体のルールで「火葬場」という名称を
使えない
らしく、
一見すると温泉かキャンプ場
のような名前がついていました。

霊柩車も火葬場もわかりにくくなり
生きた人と死んだ人を明確にわかつご時世ですね。
本来、生の延長線に死が続くのです。
でも今は、死は忌み嫌う、
見たくないものになってしまっていて
少し違和感
を感じます。

さて、まるで美術館のように木を多用した建物は
天井も高く、中庭は白い石やオブジェなどがあり、
とても綺麗で美しい場所でした。

父は、新しもの好きで、
家電でも車でも常に最新を買っていたので
古い火葬場は嫌だったのかもしれません。
綺麗で新しいところがよかったのかな。

偶然にも空港が近く
お骨を拾ってすぐ東京に戻れる
立地でしたが
火葬の終わる時間が読めなかったので
飛行機は最終便を購入しており
何もない空港で2時間以上待つ羽目に。

父が私に便宜をきかせて
空港に近い火葬場を選んだ、というよりは
自分が綺麗な火葬場を使いたかったんだろうと
想像して、ちょっと笑ってしまいました。

お骨を拾うことで死を受け入れる

火葬場でホカホカとした空気と共に戻ってきた父は
すっかりお骨になっていて
「亡くなったんだ」ということを
まざまざ感じさせられました。

頭で亡くなったことを理解していても、
綺麗な顔でうれしそうに眠る父の姿は
なんとなく生者に近い
気がするのです。

でも戻ってきたお骨は
視覚や、骨を拾うお箸の感触、
ホカホカの熱と灰からも
死をくっきりと感じさせます。

葬儀の儀式、
火葬、
お骨を拾うという一連の流れは
死を受け入れるために
非常によくできているなぁと
感じました。

災害などご遺体が見つからない中
それでも死を受け入れるというのは
どれだけ大変でお辛いことなのだろうと
胸が痛くもなりました。

小柄な父でしたが
脚の骨はしっかり太くてとても驚きました。
骨壷に入れるために
骨を砕くのがちょっと残酷で戸惑いを覚えました。

曽祖母や祖父母を見送った時よりも
亡くなったことがずしんと響く日でした。
 

たった1日でいろいろなことを感じました。
昨日シンガポールにいたのが夢に思えるほど
密度のある1日でした。

二日連続寝不足で
頭が混乱している証拠かもしれません。

自分の爪を切ったり、髪の毛一本を棺に一緒に入れると
その人の抱える病気とかを一緒に持っていってくれる、
とのことですが入れ忘れました。チーン。

深夜、東京の自宅に戻りました。
自宅に入るとき塩を撒くことも忘れてたなぁ。
葬儀から一週間経ってから気づきました。
まぁ、いいか、大丈夫だ。

またもや非常に私的な長文を
読んでくださり、本当にありがとうございます。
「スキ♡」しにくい内容かと思いますが
読んでくださった印に♡押してくださったら
ありがたいです。

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