弟と留守番した話
私の両親は非常に仲が良く、当時小学校高学年の私に4歳下の弟を託し、しばしば揃って飲みに出かけていた。
留守を預かる私は姉の威信にかけて、弟の不安を少しでも和らげようと、両親の寝室で夜を過ごすことを提案した。
場所が整えば次はコンテンツだ。私の中の敏腕ビジネスマンの基本セオリーはこの時点が頂点だったのかもしれない。
普通のテレビ番組ではニーズにリーチできないであろうと、私は父のVHSコレクションから弟のサービスレベルアグリーメントを得られそうなタイトルを模索した。
「となりのト〇ロ」という父の手書きラベルの貼られた1本が目についた。
コンシューマーへのストラテジーとしては非常にマッチしたチョイスである。
私はためらわずビデオデッキにVHSを吸い込ませた。
かつてのVHSは、前回の再生を止めた時点から続きが画面に映し出されるものだ。
私はこの時ほど『最初まで巻き戻しをする』という一手間を惜しんだことを後悔したことはない。
何の前触れもなく、ブラウン管に妖しく蠢く裸体の男女が登場した。
「おねえちゃーん、これ、ト〇ロ? あ、実写版?」
瞬時に状況を理解した私の焦りに、無邪気な弟の声が追い打ちをかける。
弟よ、すまぬ。
そして弟よ、そんなわけはなかろうよ。
焦燥で混乱した私に正確なリモコン操作などを行える判断力は残されていなかった。
とにかく再生を止めようと押したボタンは『再生をしながらゆっくりと巻き戻す』という挙動をオーダーするものであった。
弟は、初めての大人の階段への一歩を踏んだ。
私は父のフィニッシュポイントを知った。
全ての元凶は、不穏な内容の映像にカモフラージュの為、あどけないタイトルを付与した父ではあるのだが、私にも一抹の非はあった。
なんとか父の汚名を返上しなければならない。
そして弟の心理面のケアも必須である。
「お姉ちゃんが歌ってあげるから、寝ようか!」
と、必死でト〇ロの主題歌を思い出そうとしたが、脳裏を占めたのは与謝野晶子女史の歌であった。
『あゝをとうとよ、君を泣く、
君知りたまふことなかれ』