今でもわかる!徒然草現代語訳(ちょっと辛辣)


吉田兼好が書いた「徒然草」を現代語に訳してみた。反省はしない。

第九段 原文
女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて女の、うちとけたるいも寝ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。まことに、愛著(あいぢゃく)の道、その根深く、源遠し。六塵(ろくじん)の楽欲(ぎょうよく)多しといへども、皆厭離(えんり)しつべし。その中に、ただ、かのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしとみゆる。されば、女の髪すぢをよれる綱には、大象(だいぞう)もよくつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必ずよるとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく慎むべきは、このまなどひなり。

現代語訳
女の人の髪がキレーだと人を引き付けるけど、人柄や気立ては話し声だけ聞いてりゃ見なくても物越しでわかるよね。
女への執着ってでかくて根深くてほんとどうしようもない。五感を刺激するのはいっぱいあるけどどうにかなる、けど女がらみのことは爺さんも若いのもスマートもバカもみんな釣られる。
だから女の髪で作った綱はでかいゾウもつなぎとめられるし、女が履いた下駄で作った笛の音には鹿がよってくるって言われるんだよ。女性への迷いだけはマジで気を付けておきな。


第十二段 原文
人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(むか)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ざえ)なく成りぬれば、品(しな)下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

現代語訳
イケメンがモテるというのはうそ。ほんとは喋れるし聞くのも上手なのがリア充になる。
イケメンでもDQNなのはダメ。家とか顔は生まれつきだけど、心は努力次第じゃん。
逆に顔が良くても低学歴のバカはすぐに論破されちゃうよね。ざまぁwww


第二十段 原文
某(なにがし)とかやいひし世捨人(よすてびと)の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

現代語訳
なんとかって野郎が「いつ死んでもいいけど、空の景色だけは名残惜しい」って。ほんとそれなwww


第二十一段 原文
よろづのことは、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、又ひとり、「露こそあはれなれ」と争ひしこそをかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。月・花はさらなり。風のみこそ人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るる水の気色こそ、時をもわかずめでたけれ。
「沅(げん)・湘(しょう)日夜、東(ひんがし)に流れ去る。愁人(しゅうじん)の為にとどまること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。
嵆康(けいこう)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥(ぎょちょう)を見れば心楽しぶ」と言へり。人遠く、水・草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰む事はあらじ。


現代語訳
大体のことは月のが慰めてくれる。ある人が「月しか勝たん」って言ったら、別の人が「露こそめっちゃ風情あるっしょ」って言い合ってて意気投合。季節によっちゃあなんでもエモくなるってことだね。
月や花はもちろんだけど、風もなんかこう、心に来るよね。岩にぶつかって砕けて流れ散る水も、どんな季節でも神ってる。「中国杭州を流れる川の水は日夜東へ流れていく。東の都を懐かしむ自分のために留まってくれることはない」っていう戴叔倫(たいしゅくりん・唐の詩人)の詩を見た時はマジ感動したよ。
嵆康(けいこう・魏の哲学者、詩人)も「山や沢で遊んで魚や鳥を見れば心も楽しい」って言ってるしね。ド田舎の自然がキレーなところを散歩すれば心も慰められるってもんよ。

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