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【⚽️日本サッカーを愛そう】【雑感】ぼっち観戦はアリか無しか!?

突然だが、
あなたのぼっち観戦適性を診断してみたい。

下の表のうち、果たしてどのレベルまで耐えられるだろうか。

レベル6の人。好きです。

レベル5の人。強い。孤独に対するメンタルは鋼レベル。


そして、
安心してください。レベル1の人。あなたまでがぼっち観戦の適性があります。

そう。
サッカー観戦は、ひとりでラーメン屋に入るより敷居は低いのだ!!!!



一人でスタジアムに行くのは寂しいですか?怖いですか?虚しいですか?

今回は、そんなことないんだぜ!と言える根拠と、それからお勧めのスタジアムでの振る舞い方を書いてみたい。
このnoteがスタジアムに行ってみたいけど一人だとちょっとね。と、二の足を踏んでいる方の後押しになれば幸い。

それでは早速、ダラダラと書いてみる。



■それは目的のはっきりとした異世界

没入感。という言葉がある。臨場感とも言おうか。

スタジアムにはこれがある。まさに非日常。「スタジアムに行って何すれば?」ではない。
スタジアムには行けばいい。それだけで既に何かを達成している。

行って、浸る。これである。


例えば東北の奥ゆかしさを感じるために一人旅に出たとしよう。景色が奇麗な九州でもいい。もちろん北海道や北陸の大自然でも良い。

こういう場所でも浸ることは出来る。

しかしこの場合、浸っているにも限界がある
(個人差は当然あるが)あまりにも浸り過ぎると自分はここで何をしているんだろう?などと余計なことを考える隙すら生まれるかもしれない。


その点を鑑みるとサッカー観戦は有能だ。

ひとしきり浸った後に、サッカーの試合という大イベントが開催される。孤独に対して有無を言わせる暇など無いのだ。

もし微妙な距離感の知人グループに遭遇してしまっても何の問題も無い。試合を見に来たという大前提の前に、孤独の概念など吹き飛んでしまうからだ。


よしんばこれがラーメン屋なら、
「手酌の瞬間、虚空を見る目が怖かった」とか、「あれは完全に横領か何かした人の顔だった」など、裏で好きなことを言われかねない。

いやそれは冗談だとしても、
”ぼっちラーメン”にはあれこれと想像を掻き立てる余白が多いが、”ぼっち観戦”は目的が明確すぎるが故その心配は皆無なのである!


サッカー観に来たんです。それだけで十分!




■グループ?既にその中に居るじゃない!

スポーツ観戦のもうひとつ凄いところ。

それはそこにいるほとんどの人たちが、どちらかのチームを応援するという構図が既に出来上がっていること。
ホームチームを応援すれば、あなたは既に大きな何かの一員なのだ。


やや哲学的な話になるが、
孤独とは、独りでいるよりむしろグループに属している方が感じやすかったりする

共感に次ぐ共感。「ウチらのノリ」的なノリ。これら完璧にシンクロすることは、人によっては限界があったりする。
特に歳を重ねてくると価値観はズレて当然。そのズレを感じた瞬間に人は属していながらも、ふと孤独を感じてしまったりする。

しかし、
ホームチームを応援するという大雑把な括りにおいて、あまり価値観の不一致は起きにくい。

ちょうど良い距離感。ちょうど良い一体感。

スタジアムにはこれがデフォルトで装備されている。
そしてそれが、とても心地よかったりもする。


目的が一つになることは、それだけで美しい




■唯一声に出していい言葉

さて、
ここまでやや強引とも言える「ぼっち観戦」の肯定。すなわちそれが決して寂しさの象徴でないことを力説してきた。


しかし!
人間とは本当に面倒くさい生き物で、さっきまで奥ゆかしきぼっち観戦者だったにも関わらず、必ずしも一人ではないと感じ始めた瞬間 今度はこの熱い想いを声に出して誰かに伝えたくなってくる。

本当に面倒くさいがこれは真実である。


そんな人が、唯一声に出して良いフレーズが一つだけあるので紹介しておこう。
それは、

 「ナイスラン!!!!」

これである。


サッカーのルールなど詳しくなくてもいい。戦術の解像度も気にしなくていい。ただただ溢れる思いを声にして、周囲との更なる一体感を得たければ、ぼっち観戦者が発していい言葉はこれ一択。

誰がどこをどう走ったかは関係ない。
なんかポジティブで、”もの凄く重要なところを見ていた感”を醸しだし、それでいて周囲も雰囲気で共感せざるを得ない魔法の言葉。

「ナイスラン!」

徐々に声を大きくしていき、ここぞの場面で3回だけ言おう。3回だ。


調子に乗ってサッカー講釈など垂れてはいけない。所詮あなたはぼっちなのだ。忘れるな。悲鳴や罵詈雑言はもっての外だ。


これであなたは一人にも関わらずスタジアムじゅうのサポーターと真に一体になることが出来る。

もはやぼっち観戦とは真逆の世界線に存在することは間違いない。
良かった。本当に良かった。


交代際は絶好のご発声ポイント。「ナイスランだ!山田さん!!」




■スタグルは試合終了後を狙う。敢えてね。

一方でぼっち観戦には、精神力で賄いきれない実態があることも事実。その最たる例がスタグルである。

「これ美味しいねー」などと共感を得る相手もいない。それどころか「ちょっとこれ持ってて」みたいな、本当に困っているときの助け船すらない。これは思いのほかキツイ。


ぼっち観戦の最大の敵。食。

しかし安心して欲しい。私はこれについて、ありとあらゆる方法を試し一つの結論に達した。

スタグルは試合終了後を狙う。敢えてね。


ご存じの方も多いと思うが、スタグルはよほどの人気商品でない限り試合終了後にも売っている。むしろ店側は用意した分を完売したくて寛容かつ積極的だ。

私はぼっち観戦の時、必ずと言っていいほどスタグルは帰り際に調達しテイクアウトすると決めている。
寂しいんじゃない。敢えてね。敢えて。


なぜ敢えてか。それを2つのメリットと共に紹介しよう。

一つは道路状態の緩和だ。

車で来た時は駐車場から脱出するだけで一大事。そのカオスな時間をスタグル調達に充てるという訳だ。
おらっちさんのピザを待ちながら試合の余韻に浸る。そんな時間を過ごしていれば腹も、道も空く。

ぼっち観戦は時間の使い方も自由自在だ。それをいかんなく発揮してグルメ調達と渋滞緩和を一挙両得。どうだ。ちょっとだけ説得力があるだろう。


そしてもう一つは、ビール。

車で来ている以上、ビールはお預け。であればスタグルを敢えて持ち帰り、家についてから満を持して美酒と共にいただこうという訳だ。

これ。意外とやったことある人少ないんじゃないかと思うんですけど、良いですよ。すごく。
特にヤマハって夏は暑いし、風強いし、雨降ると食べる場所なんて無いですからね(泣)。苦労して食べるぐらいなら持ち帰る。

そう。開き直りのテイクアウト

ぼっち観戦者には圧倒的にお勧め。寂しいからじゃないよ。敢えてね。敢えて。


ORACCHIさんのピザはテイウクアウトしても最高。家でビールと一緒に食べるんだから!!




■最後に

ぼっちは、時として残酷である。

世の中に蔓延るマジョリティマウントの極みとも言えるから。普通に寂しい時あるし、席を外すときとかマジで不便だしね。

しかし!
スタジアムでのスポーツ観戦を、ぼっちのその負の感情が妨げているのならば、僕は全力で否定したい。

ダラダラと書いてきたように、ぼっち観戦は普通にアリだと思っているから。
不安なら来ればいい!怖ければ来ればいい!虚しければ、いっそ来ればいい!!

きっとそこには、予想以上の満足感が待っているから。


もしも、もしもだぜ。

まだ時期尚早。頑張って一人で観に行ったけれど何とも言えぬ寂しさに耐えきれなくなったならば、そんな時は自分に嘘などつかず、泣きながら御厨駅まで走ればいい。

その時は私が言ってあげる。
「ナイスラン!!」と。


スタジアムは一人であっても一人じゃない。誰かがあなたの来場を讃えている。喜んでいる。
それを忘れないで欲しい。

そして、また懲りずに来ればいい。

何度でも言う。
ぼっち観戦は、大いにアリなのだ!!





ぼっちもぼっち以外も、スタジアムで会いましょう。


本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。


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