【ビジネス考察】繰り返される悪手
商品を売るにせよサービスを提供するにせよ儲けるやり方というのは実はあまり種類が無くて、出ていくお金を抑止するか、入ってくるお金を増やすしかないわけです。
出ていくお金ってのは原価。一般的に人件費や材料費などを指しますがこれを抑止したいならムダを減らすしかない。
逆に入ってくるお金というのはお客さんに支払ってもらう代金。これを増やしたいならたくさん売るか、値段を高くするしかない。
企業は儲けたいわけですから、
いずれかのやり方でどうやって良くするかってのを考えているわけですけど、やっぱりどう考えたって一番お手軽な儲け方は値段を高くすることになると思います。
値段が高ければ利幅も大きいし、ちょっとしか売れなくても儲かりますからね。これは魅力です。逆に原価を見直すとかってのは相手がいて地味に大変なのであまりやりたがらない。
しかし、
当たり前ですけど値段が高ければお客さんはなかなか手を出しにくくなります。どんなにお手軽なやり方でも売れなくては本末転倒。
じゃぁどうするか。
答えはこれまたシンプルで、
その商品やサービスを、それでも買わずにはいられない唯一無二のものにするのです。
実は2000年代の日本。
電気製品を中心にこの思想は混迷を極めました。
■日本製品の発想
それでも買わずにはいられない唯一無二の価値。
それをビジネスのうえでは「付加価値」などと呼んだりします。要は付加価値を付ければ、値段は高くてもお客さんは買ってくれるという思想です。
一見正しいように思いますが、
実はここには大きな大きな間違いがあり、この間違いこそが日本の製造業を路頭に迷わせた真因ではないかと、個人的にはずっと思っておりました。
日本のメーカーが考えた付加価値。それはいずれも物理的な何か、でした。
例えば、音が出るとか、光るとか、折りたためるとか、塗装がきれいとか。
冷蔵庫から音楽が流れたり、リビングの照明から匂いが出たり、テレビは壁に掛けようとしたし、ケータイのカメラは画素数ばかりに拘りました。
結論から言うと、
そんなのは誰も望んでないわけですよ。お客さんは。
つまり「付加価値」ってのは価格を維持したいがためのメーカー側の一方的な言い訳であって、圧倒的に一人よがりだったんですよね。
一方でその時に売れた商品は何かって言うと、
吸引力の変わらない掃除機だったし、羽が無い安全な扇風機(送風機)だったし、ネットとつなげる事が前提であらゆるサービスを可能にする携帯電話(スマホ)だったわけです。
ケータイのカメラもSNSとつながることで初めて画素数という需要が生まれました。
つまりは、
市場の要求に真に合致したもの。あるいは市場の生活様式を根底から変えてしまう発想、これこそが「付加価値」だったわけです。
今こうして文字にすると当たり前すぎますが、当事者は意外と気付かない。なぜなら現実を直視せず楽に儲けたいから。
自分たちの商売を正当化してその場を凌ぎ、市場を置き去りにする圧倒的な悪手。
これこそが日本のメーカーを路頭に迷わせた諸悪の根源でした。
■最近のDAZN
価格を維持したいならその価値はどうあるべきだろうか。その価値は市場の思想と合致しているだろうか。
この観点は間違いなく必要だし、
そこを見失えばあっという間に失速してしまうのは、失われた〇〇年と言われて久しい日本の製造業が証明しています。
しかし、
遂にですね、この感じが製造業のみならず(本来顧客をよく見ているはずの)サービス業でも出てきたんだな、と。
そう思わせるのが最近のDAZNの手法です。
魅力ないチャンネルの増加や、需要ないタレントの起用。はっきり言って市場の要求からはズレているけれど当事者は気付かない。いや、見ようとしない。
なぜなら、「付加価値」を謳って値段を据え置きにしておけば楽だから。
この発想。
そしてこの発想による市場需要とのズレ。
そしてこのズレを見て見ぬフリすること。
これらはいずれも、日本の製造業が失ってきた20年、30年の根源になった悪手そのものです。
今はまだ独占的な様相が強いため提供側のわがままが許される状態だし、
利益をJリーグに還元する仕組み上、JFAもそれに協力していますので強固に見えますが、
社会の原理が正当に働くなら、近い将来この振る舞いは痛い目を見るでしょう。間違いなく。
繰り返される悪手。いよいよ引き返せなくなる前に気付けばよいのですが。
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