【⚽緊急】もっともっと、静岡サッカーを誇ろう!!
こちらのツイート。
古くからのフォロワーさんなら知っているはず。
実はこれ、前半部分は何度も投稿している定期便です。
多分ですけど、
これからも何らかの折に触れて何度も投稿すると思います。
例え古参のつぶやきと捉えられようとも・・・。
ドイツで日本の学校のように挙手をすると注意を受けます。
とある日本企業が中国で発売した製品にTaiwanと記して大損害を受けました。
やや大げさな例えだったかもしれませんが、歴史認識の甘さは何かにつけてあまり良くないことをひき起こすと考えています。
それは、静岡におけるサッカーの歴史認識も同じ。
静岡には現時点で4つのプロサッカーチームがありますが、
嫌いなら嫌えばいい。試合前は煽ればいい。試合中は戦えばいい。県内みんな仲良く・・・なんて理想的な調和に縛られなくていい、と思っています。
しかし。
それはそれ。これはこれ。
静岡はどうしてかつてサッカー王国と呼ばれたのか。
「もはや王国ではない」と言われながらも、どうして今なおサッカー人気は全国一位なのか。
これらの背景を知ったうえで煽りあい、嫌いあうのと、
目の前に起きた事象だけを見て短絡的にリアクションするのでは味わいが全く違う。
そう思うのです。
どちらかが良いとか悪いとか、そういう話ではなく
ただただ、後者は余りにも寂しすぎる。
だから僕は何度でも言います。
静岡サッカーは一部だけを見ては語れない。横幅も、奥行きも相当深い。それら全部ひっくるめて静岡サッカー。
今回は自分の認識する歴史を紐解いてみたいと思います。
きっと面白いものが浮かび上がってくると思うので、少しお付き合いいただければ。
■静岡にサッカーを植え付けた「藤枝」
静岡サッカーの起源をたどれば、それは間違いなく藤枝になります。
大正13年に創立した藤枝東高校。その時、当時としては珍しくサッカーが校技と定められました。サッカー王国の初めの一歩はここであると言っても過言ではありません。
実のところ静岡や浜松に既にサッカー部はあったそうですが、何と言っても校技と定めたのがデカかった。
瞬く間に力を付け全国制覇を果たすと、藤枝市民にとってのサッカーはアイデンティティそのものになりました。
詳細はこちらのnoteでまとめたのでぜひ参考に。
藤枝のおかげで静岡にサッカーがあります。これは間違いないです。個人的には「蹴球都市」と自ら名乗る藤枝市に全くの違和感はありません。
ちなみに、
アビスパ福岡はご存じ藤枝ブルックスが前身ですが、サガン鳥栖の前身であるPJMフィーチャーズを立ち上げたのもまた藤枝東出身の桑原勝義氏でした。
2つのチームはいずれも藤枝でのJリーグ入りは叶わなかっただけに、市民がMYFCを愛する気持ちが特別なのも分かると思います。
ブーイングしない文化を「ぬるい」と感じる人もいるようですが、ここまで深く理解するとMYFCへの愛はブーイングなど超越しているとも言えます。
サポが増えると色んな人が出現しますのでこの先どうなるかわかりませんが、僕はブーイングしないMYFCはかなり好きです。
歴史認識と共に、残して欲しいカルチャーかなと思います。
■育成年代で昇華させた「清水」
サッカーの発祥が藤枝なら、
それを育成年代で昇華させ、「サッカー王国」という呼称を確立させたのは間違いなく清水の功績です。
そんな清水を語るうえで、
静岡サッカーのファン、そして清水サポーターなら絶対に覚えておきたい名前があります。
それが、堀田哲爾(ほったてつじ)氏。
彼の功績は例によって以下のnoteに詳しく記しましたが、
簡単に言えば、
清水市内に小学生の選抜チームを作り、育成システムを街ぐるみで確立させたこと。そしてその象徴として出来たチームが、かの有名な”清水FC”になります。
そんな清水FCが輩出した風間八宏、江尻篤彦、長谷川健太、三浦文丈、相馬直樹、藤田俊哉、大岩剛、野々村芳和、斉藤俊秀、服部俊宏、望月重良、伊藤輝悦ら(書き切れていませんが凄いメンツ!!)は、それぞれ清水東、清水商業、東海大一に進学し、冬の選手権で大暴れするわけです。
よくよく見るとこの中には
代表監督、代表コーチ、Jリーグ監督、Jリーグチェアマンがいるわけですけど・・・これ、静岡県全体の話じゃないですよ。清水FCというひとつの少年サッカーチームの話なんです。全員同じ街クラブから出てるんですよ!
これが清水。本当に凄いことだと思います。
藤枝のサッカーがイコール藤枝東高のサッカーを指すのに対し、清水のサッカーは街全体を指します。
藤枝が「蹴球都市」と名乗る一方、自らを「サッカーのまち」と名乗る清水。個人的にはこれもまた違和感はありません。
■静岡サッカーを守ってきた「磐田/浜松」
育成年代を中心に静岡サッカーを育ててきたのは藤枝、清水。
しかしですね。
サッカー王国静岡を語るうえで西部地方の功績も同様の熱量で語る必要があると個人的には思っています。
古くから産業が盛んであり、多くの全国区の企業が社屋を構えていたのが遠州地区でした。
大企業は地域貢献の理念のもとにスポーツチームを持ちます。
もともと野球が盛んであった西部において、サッカーに力を入れたのがヤマハ発動機(磐田)と、本田技研工業(浜松)だったわけです。
ヤマハとホンダは、静岡で生まれ育ったスター選手たちを県内に留まらせるという点で大きな役目を果たしました。
もし両社がなければ、
選手権を沸かせた多くの原石は関東関西など大都市圏にほとんど流出していたでしょう。静岡サッカーの繁栄はそこで止まっていたかもしれません。
日本リーグ時代から異様な盛り上がりを見せていたヤマハとホンダの対決。
まだダービーという言葉が無かったのでそれは「天竜川決戦」と呼ばれていたわけですけど、まさに決戦でしたね。
同地区かつ同業者ということで、スタンドはホーム側の社員で溢れバイクの代理戦争と言わんばかりに殺気立っていたのを子供ながらによく覚えています。
あの熱狂は、まさしく静岡サッカーの熱量そのものでした。
個人的には、静岡ダービーの原点は今でもあの東山にあると思っています。
■東部のサッカー文化に挑戦中の「沼津」
さて、
ここまで静岡サッカーの歴史を紐解いてきました。そんな中、今なお現在進行形で静岡サッカーの新しい流れを作ろうとしているのがアスルクラロ沼津です。
多くの静岡県民がご存じの通り、御殿場や三島を中心に東部地方もまた野球が盛ん(どちらかというとサッカー不毛)の地域でした。
僕は冒頭のXで、
天才小野伸二を産んだのが沼津。と称したわけですが、そんな沼津にプロクラブを作ったのが、同じく沼津を故郷とする山本昌邦氏と実弟の山本浩義氏です。
詳細は例によってこちらのnoteに書きましたが、
アスルは、沼津出身の山本兄弟により産声を上げた、東部による東部のためのJリーグクラブなのです!
ジュビロにとっては黄金期を終わらせてしまった当時の監督。と、あまり良い印象の無い山本昌邦氏。
しかしですね。彼のおかげでジュビロと沼津は古くからつながりがあり、みんな大好き小川大貴選手や上原力也選手はそんな沼津の3種から磐田のU18にやってきた選手なんですよね。
静岡のサッカーってのは本当に奥行きも横幅もある。
そんなことを感じさせる沼津もまた、間違いなく静岡のサッカーの一部なわけです。
■新たな”市立”になろうとしている「富士」
さて最後に、
プロチームは無いんですけどここのところとても熱い動きを見せている県内のとある都市を紹介したいと思います。
それもまた東部に位置する富士市。
その象徴とも言える富士市立高校が面白い!
市立高校って公立にも関わらず予算執行の判断が市単位で出来るためなのか、比較的自由度があるんですよね。
その特徴を活かして、公立校にもかかわらずバチクソにスポーツ強豪校になっているのがご存じ「市立船橋」です。
また、サッカーではあまり有名ではありませんが神奈川には川崎に「市立橘」というこれまたスポーツが超強い公立高校があります。
かつての清水商業は清水の市立だったのですが、静岡市に吸収されてからすっかりサッカーへの情熱は薄くなってしまったように感じます。これもある意味公立校の宿命なのかもしれません。
ところが、
そのキヨショーの流れを汲んでいる市立高校が、実は富士市立高校なのです!
上のnoteでも書きましたが富士市立は公立校にもかかわらず下部組織を持っています。いいですか。公立校が下部組織持ってるんですよ!
それだけ市民がサッカーに対して寛容なんですよ。まさしくサッカー王国ならではの取り組みかと思います。
サッカー王国の懐の深さは何も過去の話だけではない。今でも脈々と流れてる。
ぜひ富士市にも注目してみては、と思います。
■さてさて
繰り返しになりますが、
僕自身はですね。県内みんな仲良く・・・なんて理想的な調和に縛られなくていいと思ってますよ。
イヤなら嫌えばいい。試合前は煽ればいい。試合中は戦えばいい。
ただですね。
歴史を知って、その横幅と奥行きの深さを知って、
今よりもっともっと静岡サッカーを誇り高く捉えて、各ダービーを通じて文化を作りたいんです。
誹謗中傷とか、本来購入不可なアウェイチームに隠れてチケットを買うとか。そんでそれをSNSで自慢するとか。
そういうバカっぽいのは止めましょうよ。何というか、とっても薄っぺらいから。
その代わりですね。
静岡はもうサッカー王国じゃないとか、弱すぎて盛り上がってないとか、そういう論調も不要かなと思っています。
そりゃ色んな戦績は昔に比べたらかなり寂しいですけどね。このnoteで振り返ってきたようにここには唯一無二の蓄積があるんですよ。
僕はこれを奥行きと横幅と表現してきましたが、これは誰にも真似できない。
これがサッカー王国じゃなかったら他は何があるんだよ、とすら思います。
改めて。
静岡にサッカーを植え付けたのは藤枝。
それを育成年代で昇華させたのが清水。
それを実業団レベルで守ったのが磐田と浜松。
沼津や富士は東部に新しい風を作ろうとしている。
伊豆は温泉がたくさんあって河津桜が奇麗。
これら全部ひっくるめてサッカー王国なんですよ。自称でもいいじゃないか!!!!
もっともっと、静岡サッカーを誇りましょうよ。胸張って。
オレたちは強い。オレたちは尊い。磐田も藤枝も清水も沼津も全部凄い!
今回のnoteが、皆さんのそんな感情の一助になればこんなに嬉しいことはありません。
そしてそして、
静岡県に縁も在住経験も無いのに静岡サッカーを愛してくれる方々。皆さんは既に歴史の一部です。静岡サッカーの一部です。
これからも変わらぬ熱量で、サッカー王国を支えていただければこんなに嬉しいことはありません。
静岡サッカーに幸あれ。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
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もう少し時間がある方はこちらもどうぞ。
100%完全妄想で作った静岡スーパーリーグ。愛と誇りをこじらすとここまで来ます。笑