【実録】貧乏な家
その昔、僕は電気店でアルバイトをしたことがある。ヤマダ電機とかそういう大型店ではなく、地元に密着したいわゆる街の電気屋さんだった。
梅雨の終わり。小さな店にもたくさんのエアコン取付の依頼が来る。毎日汗だくになりながら夕方まで依頼主の家をハシゴしてエアコンを取り付ける。
今日もすべての取り付けを無事に終えて店に戻った時だった。
温厚な社長が珍しく機嫌が悪い。
聞けば近所の小学校から連絡が入ったらしい。依頼内容は、
そういうものだった。
ご存じの通り家電リサイクル法を考えれば、いくら動くと言っても廃棄用に預かったものを譲渡は出来ない。
電気店とすれば「無理」と一蹴することも出来たが、子供を見過ごすことも出来ない。街の専門店には行政と勘違いされたようなこういう依頼が良く来るという。
結局社長は、近々買い換えようと思っていたという自宅の洗濯機を取り外し、申し訳なさそうにこう言った。
「鈴木くん。残業できる?」
僕はこれを快諾し、洗濯機を軽トラの荷台に積んで社長と一緒に車で5分ほどの小さなアパートに向かった。
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ピンポンを押して声を掛けるが反応がない。
社長がガンガンと強めに扉を叩いた。機嫌がどんどん悪くなる。ようやく奥から母親らしき女性の声がした。
あまりの反応の悪さに正直かなり虚無感を覚えたが、なるほど依頼したのは学校であって本人ではない。そんなもんかと開き直って扉を開ける。
そして、
さっきまでの虚無感など吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。
まずモワっとした空気に圧倒された。夕方とはいえ季節はもう夏だ。湿気が蔓延している。どうやらこの家にはエアコンが無いらしい。
そしてその粘るような湿気は視覚からも情報を提供してくる。
もの凄いのだ。ゴミが。
玄関なのに足場など無い。まずどうやって入って良いのかがわからない。そしてそのゴミやら大量のモノに隠れるようにして、洗濯機がそこにあった。
僕は思っていた残業量をはるかに超越している現実を知る。
とりあえず玄関からゴミやらモノやらを外に出し、何とか洗濯機までたどり着くと、ようやく本来の仕事というか洗濯機の取り付けにとりかかった。
ちなみにこの間、母親らしき女性は一切顔を出さない。奥で炊事の音がする。夕飯の準備に忙しいのだろう。
何とか洗濯機を取り付け終えた僕と社長はとりあえずそれが動くことを確認し、再びゴミともモノともわからないそれらを玄関に押し込めた。
僕らはごみ収集業者じゃない。とりあえず扉が閉まればいい。汗だくになりながらもうそんな感覚で作業していた。
そのまま帰るわけにもいかないので「すみませーん」と、社長と僕は炊事の音がする方へ向かった。
ここでもまた衝撃の光景を目にすることになる。
ワンルームのその部屋は玄関と同じようにまたモノに溢れていた。キッチンのシンクにも洗っていない食器類が溢れ、母親は強引に作ったであろう小さなスペースで何かを切っていた。
部屋の中心部に目をやるとこれまた強引に作ったスペースに小学生の男の子と妹らしき女の子が腹を空かせてテレビを見て笑っていた。
社長はいつも通りの営業スマイルで「洗濯機。ちゃんと動くの確認してるんで使ってくださいね」とだけ言って、そそくさと部屋を出た。恐らくリサイクル券の費用は社長が持つのだろう。
はじめこの話を聞いたとき、
社長もそんなことで腹を立てるなんて意外と短気だなとも思ったけど、結果として僕もその考えを改めるやや衝撃的な経験となった。
帰りの車中。移動時間は短かったけど、なんか色んなものを考えさせられ閉口せずにはいられなかった。
いけない物を見てしまった感覚と、
最後まで他人事のような態度をとる母親に腹を立てている自分と、
一方でシングルマザー(多分)の苦労を知らずにそんなことを思ってはいけないのでは?という反省と、
ただ依頼された洗濯機の設置をしただけで明らかなゴミをまた玄関に押し込んでしまった何とも言えぬ罪悪感と、
あの地獄の様な空間で純粋にテレビを楽しんでいた兄妹の未来を勝手に案じる自分と、
それと無意識に比較して自分は恵まれている。良かった。と安堵している自分と。
とにかく色んな感情が入り混じって、自分の頭の中にも関わらず簡単に整理などできなかった。
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あの兄妹が、きっちりと出された宿題をこなして翌日学校に行くとは思えなかった。そもそもあの家にノートを広げる場所など無い。
これは彼らが悪いんだろうか。
一方で、
テレビを楽しそうに見ていた彼らが、汚れた服を着て学校に行くことを心底悩んでいるようにも見えなかった。
見かねて街の電気屋に電話を入れた学校の行動は、本当に正しかったのだろうか。
ではそれが余計なお世話だとすれば、どうすることが正解なのだろうか。
全てが誤りだというなら、
自宅の洗濯機とリサイクル代を被って、感謝もされていない社長は誰に何を訴えればいいのだろうか。
もう20年も前の話だ。
あれから社会格差の話は無くなるどころか増えている。「親ガチャ」という言葉も出来た。
今でもこの手のニュースを目にするたびに、
僕はあの扉を開けた時の衝撃、そこで見た母親の態度、テレビを見ていた子供たちの無垢な笑顔、どこで何をしているかもわからない父親を思い、何が正解かわからなくなる。
廃棄家電にリサイクル券を義務付けても、貧乏のサイクルは何も変わっていない。
これは真実である。
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