【エッセイ】東日本大震災からの想いと、寄り添ってくれた小説
※東日本大震災についてのエッセイです。暗めの内容になります。
自分自身の記録のために書いた部分もあります。
2011年3月11日、私は仙台市内の内陸部にある職場にいた。立っていられないような大きな揺れに震え、同僚とテーブルの下で手を取り合っていた。
その直後、山あいにある自宅まで帰った。渋滞の中の帰り道は、前代未聞の光景に緊張し通しだった。
信号が機能せずに、大きな交差点では警察官が立ち、手旗信号で指示をおくっている。
ラジオを付けると「大津波警報が出ています!海には近づかないで下さい」とパーソナリティが必死に呼びかけている。
通り道のコンビニには電気が消える中、お客さんが押し寄せているのが見えた。
だが、家族が気になり家路を急いだ。
電話もメールもまったく通じない。
やがてラジオから沿岸部に津波が押し寄せたという情報が流れてきた。
映像がないので、想像がつかなくて余計に落ち着かない。
沿岸部に住む祖父母はどうなっているのか……当時、海が目の前にある場所で乾物屋を営んでおり、日中は店にいることがほとんどだった。
気がつけば日が落ちていた。
街灯がつかないので暗闇だった。そして、山沿いに近づくにつれて雪が吹き付けてきた。
いつもは1時間の帰り道なのに、渋滞で2時間かかってしまった。
家に着いて車を降りると、星が煌々と輝いていた。プラネタリウムかと思った。
見ていたら、何とも言えない気持ちになった。
これが私の震災直後の出来事だ。一緒に暮らしていた母親、家を離れていた父親と兄弟は無事で、家もライフラインは使えないものの大きな壊れ方はしていないようだった。
私は今までにない光景に心が揺さぶられ、混乱していた。
その夜はちょくちょく余震があり、電気の入らないこたつで母と寄り添って寝た。
だが、翌朝届いた新聞に言葉を失った。
沿岸部を大津波が襲った状況が写し出されていたのである。
その後、1時間以上並んでも食べ物を確保できない、車のガソリンが給油できないなど不便な生活を強いられた。
だけど家族や家を失った訳ではない。
海沿いの町で暮らしていた祖父母も辛うじて避難し、命は助かった。
ライフラインが復活し、災害の様子が日に日に明らかになっていく。
テレビは報道番組ばかりだ。
携帯電話も使えるようになった。他の県にいる友人知人から無事を確認するメールが次々に届く。
「足りないものがあったら言って。送るよ!」というありがたい申し出もあった。
「実は日用品や食料が手に入らなくて……」言えない。
心の中で「あなた被災者じゃないでしょ?もっと苦しんでいる人がたくさんいるよ」という声が聞こえる気がした。
被災地と呼ばれる県に住んでいるけど、私は家族や友人、家や仕事を失ったわけではない……
震度6強の揺れに動揺し、生活物資を手にするのに苦労したが、そんなこと大したことではないではないか。
そう思うと、被災県にいる罪悪感のようなものを感じるようになっていた。
それは今でも感じることがある。
そんなときに救ってくれたのが、盛岡在住の作家、くどうれいんさんの『氷柱の声』という小説だった。
2021年に芥川賞候補になるなど話題になっていたので、読んだことがある方もいらっしゃるかもしれない。
この本の主人公は、私とまさに同じ状況だった。
被災地と呼ばれる県にいたが被害がほとんどなく、苦しんでいた。
だが、心の中に押し込めていた気持ちに気がつき、次の一歩を見いだすという話だ。
私もこの本を読み、表に出せずにいた震災への想いを少しずつ出していきたいと思った。