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43 働き方改革
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私は、教師の見かけ倒しの働き方改革に反対です。
業務量が多すぎる。だから、減らせ。
定時退勤は素晴らしい。だから、業務を減らせ。
その働き方改革は、何のため?
業務量が多すぎて、子どもと関わる時間が確保できない。授業を考える時間が足りない。丁寧な評価ができない。だから、不必要な業務は減らすべきだ。
定時退勤をすることで、心身ともにリフレッシュし、次の日にまた笑顔で子どもと関わることができる。だから、不必要な業務は減らすべきだ。
これなら、分かる。
いつの間にか、教師が全体の奉仕者としての役割を忘れ、個の充足に走りすぎてしまっていないかと危惧している。
公僕になれ、とかそういうことじゃない。
私たちには、見据えるべきものがあるのではないかということ。
だって、教育基本法の教育の目的には、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」と規定されているのだから。
業務量を減らし、定時退勤をめざした先には、授業力の向上や指導技術の研鑽、生徒の成長があるはず。
それがない働き方改革には、何の魅力も感じない。
そもそも、教師の働き方改革の第一は、生徒との信頼関係づくりだ。
生徒との強靭なつながりこそが、教師の業務の多くを減らす要因となる。
そして、私が定時退勤に関心がない理由に、恩送りがある。
定時退勤を志す教師は、隣のデスクで俯き、涙を流す後輩がいても、タイムカードを切るのだろうか?
今なら分かる。
あの日、下を向いていた私に「ラーメン食べに行こうぜ」と笑いかけてくれた先輩の優しさも家庭事情も。
涙流す教師が次の日からいなくなってしまうような職員室では、生徒を健全に成長させることなんてできないのだ。
そのことを自覚できれば、自分には関係ないと、見て見ぬふりなんてできっこない。
古臭いかもしれないが、日本の社会って経済って、そうやって潤ってきたんじゃないだろうか。
打算的なことを言うなら、同僚がいなくなってしまったら、その分業務を背負う人ができてしまう。
その結果、帰るのが遅れる可能性だってある。
ここまで、つらつらと思いの丈を綴ってきたけれど、5年も働けば、仕事の流れも分かって、余裕も出てくるし、重い業務を任されたってどうとでもなるようになる。
研鑽を積みさえすれば、部活さえなければ、定時退勤も余裕になれるのだ。
だから、部活を嫌う人が多いのだろう。
気持ちは分かる。
人口減少の只中にある今、部活動の地域移行は急務だ。
ただ、やりがいはありますよ?って話。
先日の大会で、3年間努力を続けた選手が、自己ベストを叩き出し、目標を達成した。
その瞬間、嬉しさが込み上げて涙があふれてしまった。ここまで練習に付き合ってあげて、本当によかったと報われた気がした。
やりがい搾取、と罵られるのを覚悟で述べるが、私たちの仕事の本質が、生徒の成長を志すことなのだ。
ここにやりがいを感じられないのなら、それは改めるべきだ。
偉そうなことを、偉そうな態度で、身の程を弁えぬ凡夫が綴ってきました。お気を悪くされたのなら大変申し訳ございませんでした。
伝えたいのは、教師って楽しいよってこと。
そのことを、職員室で語り合える職員集団でありたいってこと。