ゆらぎ生きる我々は、燻る白煙の刹那に永遠を見る
二月に訪れた、エジプト フルガダから臨む紅海。
年末は寂しい。昨日と変わらない空。明日と地続きのときの流れ。ちょっとの特別感も、十の位が繰り上がる、「元年」が居なくなる、それだけのこと。なのに、息苦しいほどどこか寂しい大晦日。
今日起こる全てのことに意味付けしたくなる。新宿を吹きすさぶ風は、まるでいっぱいいっぱいだった今年の東京情勢をまるっと連れ去ろうとしているみたいだ。自分を野晒しにするのは気が引けて、世界との間に一枚薄皮を引く気持ちで伊達眼鏡をかける。こんなに人間が居るのに酷く孤独になれる街だ。だから、この最低な故郷がめちゃくちゃに好き。
この国の年越しは二年ぶり。昨年プラハで分身のような人間と迎えたニューイヤーは爆竹の音と共にあった。日本の新年と欧米のニューイヤーはまるで違う。彼等は神聖な雰囲気をクリスマスに置き去りにして暴れにかかる。キリスト様の生誕祭を恋だのセックスだので消費する我々は、代わりに新年を慈しむ。私も毎年神社の例大祭に参加して、祝詞と太鼓の音とともに次の年に向き合い始める。今日ばかりは海外製の音を聴く気にならない。チルくてエモいジャパンサウンドじゃなきゃ。
cero- Narcolepsy Driver : 自分の不安定性をかたちにしてくれている。最近のサジェスト機能は感性を読まれている気がして悪寒がするが、結局留学中ずっと聴いていた。
年末に一年をふりかえることに何の意味があるのだろう。太古の祖先が作った暦にこんなにも縛られる。焦燥感と不安で吐きそうだ。でも明確に過去になる今年をそのままの形で置いていくこともしたくない。本当はそのまま抱えて生きてゆくしかないのだけれど。
Ⅰ.
総括。不安定な一年だった。
そもそもVUCAの時代なんて言われる安定性の欠片もない現代だが、今年は自分に付いたレッテルがたまたま全て不安定だった。大して母校愛も湧かぬ大学生として帰属する場もなく、留学中に客観視したことで無根拠に安心していられる場としての機能を失った母国に帰り、未来の不確定性を突きつけられ続ける就活生として生きた。
自分の精神のかたちの概観は理解しているので幸い就活で自己を見失うことはなかったが、帰国した八月一日以降明らかにリスクを取れなくなったのを感じていた。とっくに自分にとってコンフォートゾーンではなくなったこの国で生きる、そのこと自体への不安が私を駆り立て、八月以降何をしたかというと、ひたすら防波堤を立て続けた。人間関係、就職活動、とにかく守りに守りに動いていた。
動き続けた結果、代わりに得たものは多かった。全く知らない、関心も一切ない業界についての知見、そこで生きる人々の誇り、美しい眼を沢山見た。美しくない背中も沢山知った。
ただ、いつだって魅了されるのは縦向きに真っ直ぐ突き抜けたひとの放つ輝きで、ビビって見識の横幅ばかり広げて出る杭となって生きることから逃げている限り、この憧憬から逃れられないことも明確に自覚した。
今月は幾つか自らのかけた呪いを解くことができた。2020年中にその全てを打ち壊す。どうせ不安定な時代なんだから、不安定であることを恐れても仕方がない。どこでだって生きていけるよう自分をカスタマイズする生き方は、自分の芯を折ることになり結局心を不安定にする。生きたいように生きる自分が生きやすい場所を選択し続けたい。そのために猛進する一年にしようと思う。
揺らぐ世界に靡くのではなく、あくまで能動的に浮遊する意志を持った物質であること、そう在りたいと思うことの矜持を腹に抱いて生きていく、そういう二十代にしたい。
言わずと知れたこの曲を、ここ数年の生きかたの目標のようにおいている。(来年こそ実現したい。)「丸腰のいのちを突っ走る」だけでは許してくれない、「結果が全て」と突き付けてくれるところまで込みで椎名林檎の愛を感じる。
Ⅱ.
出逢いについて。
私は凡人だ。引かれた路から逸れるのを心底恐れつつ、その向こう側の輝きに抗えない、一介の臆病者である。唯一、十代の頃から自覚ある才能は、邂逅する輝きを見逃さず、どこに行けばより出逢えるのかを見抜く力だ。
今年はあまりにも多くの出逢いがあった。欧州で出逢った多くの人間とようやく一周年記念だなんて全くもって信じ難い。隣国のファンキーな友人は間違いなく私の人生を変えた。最高に最悪な恋をしたあの娘を想っていたのもたったの半年前だ。
帰国後もかつての旧友と出逢い直すと共に、最高速度で人生をこなす、いわばめちゃくちゃ"強い"人たち、魅力的な人たちと遭遇する機会が沢山あった。就活である。多くの輝きに目が眩んだが、彼らの存在は反射鏡のようで、同時に自分の輝きかたを自覚させてくれた。また文章を公開する気を起こさせてくれたのも、一瞬人生の糸がすれ違った強烈な人間だ。(きみだよありがとう。)
全員に想っているだけの感謝と愛を伝えるのは、"私"がヒトの肉体ひとつ分に規定されている以上不可能なので、一度ここに明記して供養する。出逢ってくれて本当にありがとう。こんな出逢いがあるのなら生きていないと勿体ないと、日々能動的に生を選択することができるのは、わりと真面目に皆さまのおかげです。
家族とも出逢い直した。出逢い直せなかった人もいた。ふたり。
彼らに愛を伝える方法を、私は未だ祈りしか知らない。いや、それはおそらく嘘で、彼らの生き様を知る私がそれを吸収して生きることで、社会の誰かが私から影響を受けること、そうして彼らの生き様の影響が伝播していくことこそがきっと"供養"だ。そうやって我々は自分をごまかし生きていく。それが社会の在り方だし、そうやってヒトはやってきたのだ。一個体の生も死も、長い長い宇宙の歴史の中ではちっぽけな一現象でしかない。
でも、心の根底に騙されてくれない何かがこびり付いている。今年は死に向き合うには忙しなすぎた。更に多忙な来年を前に息が苦しい。何故私は祖父の生前、彼の著書を読まなかったのだろう。彼の思想を知ることを忌避したのだろう。人生には空白が必要だ、私はまだ彼らに向き合えていない。
Ⅲ.
愛について。
愛については既に小っ恥ずかしい語りをしたことがあるので貼っておく。
先週、私の就職予定先を知った友人に、
「ええ、きみの根っこはロジカルシンキングとかそういうんじゃなくて、愛でしょ。」
と怪訝そうな顔をされて、なんてやつだと慄いた。尊敬する友人であっても、自分の本質を自分より見抜いたことを言われるのはやはり悔しいものがある。
今年の一月に掲げたフレーズに、「愛の定義と不断な実行」がある。久々に滅茶苦茶な愛をやっている頃紡いだことばな訳だが、「愛の定義」とか本当馬鹿みたいだ、と今は思う。
愛の在り方の多様性は大好きだし、世間各人の愛の定義はめちゃくちゃ知りたいのだけれども、私自身に限っては、愛なんて出逢った瞬間に分かるものだ。時に彗星のような煌めきで、時に2tトラックのような衝撃で訪れる、かと思いきや、時に寄り添う小動物のような、気づけば側にある春の暖かみのような、しれっとしたかたちの愛も湧く。
対象によって抱く愛は当然かたちが違っていて、友情だの恋だの分類する方がアホくさい。人間が75億人いる以上、私は75億通りの愛を見出す可能性がある。そのひとつひとつを丁寧に慈しむことこそが重要なのだ。
ところが、愛は抱くだけでは全くもって自己のためにしか機能しない。愛は伝えないと他者にとっての意味を為さない。はてさてこれが本当に難しい。抱いた愛を個別具体的な行動に落とし込み、相手に届ける。相手がそれをどう受け取ったのか、真にそれが分かる日は死ぬまで来ない。皮肉にも、他者との関わりで抱くこの感情が、我々に底なしの孤独を突きつける。だから我々は愛を前にどうしようもなく臆病になる。
でも、ただ愛を抱えて死んで、それで良いのか。
結局、傲慢に、独りよがりに、我々は愛を、身体を覆うこの膜の外側に、如何にかこうにか出してみるしかないのである。幸い大半の人間は愛情そのものには喜びを感じるようにできている。あとは一生かけて、その伝え方を模索するだけ。
愛の実行について、今年は大きなブレイクスルーがあった。
私は人間が好きだ。だから、一人ひとりと対話をする。手紙を書く。(ラインを返すのが苦手なのだけはつくづくポリシーに反していて嫌になる。)
今年は色んなところで色んなひとに出逢った。皆に愛を伝えたかった。でも、いくら対話をしても、彼らを取り巻く状況を変えてあげることはできなかった。どんなに話を聞いて共に泣いたとしても、私は彼のゲイ嫌いな家族を心変わりさせることもできないし、アンマンで難民として生きる彼女をダマスカスに戻してあげることもできないのだった。
もっと、人間が構成する社会に目を向ける必要があった。そしてその時、私は強烈に無力だった。身の回りの人間に伝え続けるだけでは全くもって愛の届かない人間の総量を漠然と感じ、抱えているだけの愛の無意味さに眩暈がした。
アンマンで難民の方の家に泊まった際、ごちそうになったもの。この記憶もいまだ手持ち無沙汰で、「勉強になった」で終わってはいけないという焦燥だけがある。あたたかい食事、素敵なご家族、うつくしいシリアの想い出話。
今後も当然、身の回りの一人ひとりに向き合うことを続けていくし、もっとその精度も頻度も高めたいと強く思う。
だけれども、同時にもっと大きい規模で愛を届けないといけないという義務感と焦燥を抱いた。いや、幼少期からある国際協力へのモチベーションを、もしかしたらようやく言語化できただけの話なのかもしれない。
ともかく、人前で喋ったり、芸術に昇華して大勢に届けたり、国連やアメリカやテロ組織を動かして戦争を止めたりするポジションを持っていない一学生の私でもできる目の前のことが、ビジネスと勉強だった。
就活は本当にやってよかった。社会に愛を伝える一番手っ取り早い方法が仕事でありビジネスであることをまざまざと知れた。課題に対してボトルネックを特定し、施策を提案する。就活生にとっては見飽きたプロセスだと思うが、これはつまり、自分のブッ潰したい社会課題にアプローチするビジネスに首を突っ込めば、愛を届けたい人間たちの生活に、そっと一輪分の愛を提供できるということを意味する。ビジネスマンはビジネスマンとしか呼ばれない。でも、我々の生活の基盤にあるのは、ほぼ全て彼らが作ったインフラだ。インフラを変えればひとの生活が変わり、多くのひとに愛が届く。全てのビジネスマンがこう思って生きているとは正直思えないが、彼らは世界という舞台における最強の裏方になり得るのだ。
ところが、「課題解決」なんて無味無臭のことばに集約される苦悩は想定できるようなものではない。今の私には何もできない。だから勉強、学ばなければ、届けなければ。いつか分からぬ死が自分に到来する前に。
Ⅳ.
生きかたについて。
ベドウィンに連れられて歩いた、ワディラム砂漠。
以上のように、生きたい方向に歩むため、より多くの愛を伝えるため、突き抜けて真っ直ぐと、謙虚に努力し続けて生きる。それが私の来年のあらすじだ。
でも、行間がなければ文字は文章として体をなさないのと同じで、人間の生には余白が不可欠だ。
水辺のある生活が好きだった。アルプスの国、レマン湖の街、一年間の喜怒哀楽とともに眺めた深藍の煌めき。明らかにあの水面は私のジュネーブでの一年間において重要な立ち位置を占めていた。反射する陽光がゆらゆらと踊る様子に、自らのゆらぎを、不安定性を、投影させていたのだった。
多分同じ理由で、ゆらぐものにはいつも惹かれる。うつくしい水面、真っ赤なヨルダンの砂漠に描かれ続ける風の刻印、薄橙にすーっと浮かぶ暁雲、風に吹かれ唸るような轟音を立てる密集した木々、さらさらとした長い髪。
万物に均等な時間の流れが可視化される"ゆらぎ"は、心の奥底のざわめきにすっと凪をもたらす。失うまで、その重要性に気づかなかった。
東京の就活生が日々眺めるものは、iPhone、Macのスクリーン、たまに大学の白板、そして大手町や日比谷の夜景。ゆらぎ得るのはせいぜい酒の泡と視界くらいで、それも他者のいる空間ではひと呼吸ついて心を落ち着けてなんて出来るわけがない。
私がこの五ヶ月間、執拗なまでに人生に保険をかけることに拘ったのは、不安定な立場にありながら、ひと息つくやり方をぽっかり忘れてしまい、その不安定を肯定できなかったことに原因がある。
喫煙の理由として、揺らぐ煙を眺めて空を見上げるためだ、と言った、最近出逢った人間のことを思い出す。この人が強烈に輝くのは、鋭く強い一本筋だけでなくこの情緒を持っているからなのだろうと、勝手ながら解釈して感銘を受けた。
うつくしい湖のある小さな街で生きるぶんには、日々街を歩くだけでゆらゆらゆらゆら、煌めく陽光を眺めることができた。東京に生きる私は、我々は、能動的にゆらぎを摂取する必要がある。喫煙はその手段として、明らかに有効なのだろう。
思えば、小学生の頃、毎日ひたすら空について考え、書き続けた時期があった。それから、通学路、帰路、昼休み、いつでも空を見上げるときは、空のいろ、雲の動き、全く捉えきれないその莫大な複雑性に、自らや人間全体の想いの複雑性を重ねては、精神を休息させていた。
十年以上前から自分が生活の中に「一服」を必要とすることを直感的に知っていながら、愚かな私は二十一にもなってそれをあっさりと忘れ、いつもiPhoneを凝視し、日常に雁字搦めになっていた。私の人生には余分な時間がかなり多い。意味もなくYoutubeを眺める、ラジオを聴く、Twitterを開く、気づいたら三度寝している。枚挙にいとまがないのでもうやめるが、これらは全て、私が日常をマネジメントできていないことを率直に示している。この時間をなくして有効活用するために、敢えて「一服」を選択したい。
kiki vivi lily × SUKISHA - Blue in Green : 真夜中の概念を具現化したみたいだ。必要なゆらぎは、余白は、音にするならばこんなかんじ。
さあどうやって余白を作ろう。生活圏に水辺はないし、ビルの隙間から覗く空は心を飛ばすにはちょっと狭すぎる。
でも、たとえば、文字どおり一服。ひょんなことで有害物質カットの電子たばこを手に入れた。まだ上手に白煙を燻らすことはできないけれど、あの深呼吸ひとつ分で心の靄を煙に載せて空へ飛ばせる、その感覚の中毒性はわかる。喘息持ちでなければ、急遽息が詰まったときの駆け込み寺以上の存在にしたかった。
たとえば、音楽。視覚で認知できない欠点がありつつ、現実から距離を置き、心を緩やかにゆるがす点ではぴったりだ。ここまで紹介してきた曲をお勧めしてきたSpotifyのサジェスト機能も最強だけど、ちゃんと能動的にゆらぎを選択していきたいので、来年は有料会員になろうかな。
最後に、ことば。東京に来てからぱったりやめてしまった感情の糾合、ことば遊び、いかに自分にとって必要なものだったのか、今なら分かる。削ってよい時間ではなかった。いちばん駄目だった。書くのが、創るのが、いちばん好きだ。書くことをしない精神は、鼓動をとめた肉体のようなものだった。他者に情報として消費される恐怖にビビっている場合ではなかった。創る倍速で、倍の密度で、目をかっ開いて生きればいいだけの話だった。私にとっての最上の一服を、来年はきちんと自分に与えて生きる。私は私のために書き続ける。それが私が私に出来る最上の愛の実行だ。他者愛の前提にある自己愛を、2020年はその形で全うする。
成果物は気が向いたらここに投げるかもしれないし、気が向いてくれる愛しい他者の方はまた読みにきてほしい。その一瞬が、あなたにゆらぎを与えられるようになるまで、私はきっと書き続ける。そのときは、新宿の喧騒のどこかで出逢いましょう。どうか素敵な一年を。
別に蟹じゃなくてもいいからあなたと一緒にごはんが食べたい、ほんとはそれだけのことなんだと、いつか、傲慢にも真っ正面から言える日が来るといい。