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受験に失敗した人間が今考えていること
私は受験をこう考えています。
「誰かに選ばれる/選ばれないのジャッジを、実力を指標に下されるはじめての大イベント」
テストとか部活動もそうやってジャッジされる機会はありますが、
明確に今後の生活に関わる部分を人と比較されるというのは
受験で初めて体験するのではないでしょうか。
私は大学に関しては「選ばれなかった側の人間」です。
受験が終了して約10年経過してもなお付き纏うのは
「自信のなさ」です。
自分が行きたい場所に行けるだけの実力を一定期間で「準備する力」がないことを明確に知らされた始めの経験だと思っています。
受験勉強をスタートする時期は人それぞれですが、持ち時間で合格するための準備を万全にできるかどうかで、将来に関わる勉強をする環境を選べるチケットが手に入るか決まります。
ただ、受験を終えて10年、もうひとつ大切だと思ったのは
「自信のなさと付き合っていくこと」だと思います。
どんなに優秀な人でも不安があって、不安は自然と消えることもあればコントロールしないと消えてくれない時もあります。
自信がないなら自分なりの強みを見出したり、それを埋めるための努力をする、思い切って目をつぶる、など自分自身をマネジメントすることを後工程で学ばせてくれるのが受験だと考えています。
私の場合は大学受験に失敗するまでは比較的優等生だったので少し斜に構えていましたが、学で敵わない人たちが世界にたくさんいることを知り、もっと人間的に面白くなろうとユーモアの部分を見直すきっかけになりました。
勉強を蔑ろにしながら。
今思うとそれも少し違くて、教養も含めてつきつめないと意味はないんだけどね、と呆れます。
若いときの自分を愚かだとお感じることは成長しているということだと誰かが言っていました。
「いわゆる学歴コンプに今後ずっと苦しめられるのかな、、」
と思っていましたが、そんな心配はなく、
素のままだと社会のどこらへんに位置するのか大体わかった、くらいです。
だけど、出身大学を聞いてそれが偏差値の高い大学だと、
「何かを勉強する力がある」という証明になります。
学歴社会じゃないと言えどこれは絶対なので、受験勉強を頑張るべきときには頑張るべきです。
結果も大事だけど、頑張った過程で得る物はちゃんとあるよ、と
あの時不合格が恥ずかしくて家に帰れなかった自分に声かけたいですね。