クライ、でもいーんじゃない

小学五年生の頃にクラスのとある男子が「俺、寝るとき一人やねんで」と自慢げに語っていたのを聞いたことがきっかけだった。

その時に自分は家族そろって寝室で布団を並べて寝ていた。芽生え始める親への反抗心、自分は夜に強いに違いないという倨傲、日常とは違う風景が広がっているのだろうという好奇心…。それはきっと「大人」への要素がふんだんに詰まった行為なんだろうなと思いながらその日を過ごした。

当時は五人家族で2LKのアパート住まい。決して広々と使える間取りではなかったが、ある日に両親に「夜は一人で寝たい」と打ち明けると、数日経ったある日に貴重な一室を与えられ、小学生にして我が城を手にすることができた。……と言っても、普段は子供部屋として三人兄弟の遊び部屋として兼用し、寝る時だけ使ってもいいよという状態だった。

そしてまたとある日に、父親がテレビを子供部屋兼寝室に置いてくれた。テレビゲームが大好きな三人兄弟だったため、普段ゲームをする時はリビングにある大きい方のテレビを使っていたのだが、間取りでいうところの真ん中の部分に位置していたので、家族の通り道になりがちなその通路も兼ねた部屋で兄弟やその友達が集まってゲームをすると邪魔になるからだという理由だったと思う。

買ってきてくれたミニテレビにはアンテナもついており、地上波のテレビも見ることができたが、これが後々に厄介な事態を引き起こすことになる。そう、深夜テレビの台頭である。

これによって朝の寝坊は当たり前、もともと高くなかった学力もグングン低下していくこととなり、親は原因を模索しはじめる。そこへやってきた「アンテナ狩り」のお達し。と言っても、テレビが二台あることで裏チャンネル争いも収まるという側面もあったため、寝るときだけアンテナ機器を別の部屋に隔離し、夜は大人しく寝ていなさいということを促すためのものだった。

しかし、夜のアミューズメントを覚えた少年にとってはあまり意味のない行為だった。そう、まだテレビゲームがあったのだ。どうせ音が出せないのだからと、レベル上げや単純作業のためにライン工程を夜中にもってくるという変な効率化を図るようになり、夜中は黙々とその作業に徹していた記憶がある。学力は低いくせにそういうところには頭の回る、ずるがしこい子供だった。それにしても、その時間をゲームに費やしていたと考えると実に何とも言えない「香ばしさ」の漂う少年だったなとも思うが。

そしてついにはそれもバレ、テレビそのものがその部屋と対角線上の位置にある真反対の親の寝室へと隔離され、我が家のテレビ放浪記はいったんここに幕を閉じることとなる。

……しかし、それにしたって夜は暇だった。生活リズムが完全に夜型になってしまっていたので、なお携帯ゲーム機をこっそり布団に持ち込んではプレイしようとしていたが、その頃には親の監視も厳戒態勢に入っていたため、少しでも夜中に不穏な動きを見せると定期監査にやってくる親の目をやり過ごしながらプレイするゲームは非常に効率が悪かった。

その頃には中学にもあがり、定期テストというものがのしかかってくるようになる。試験前の夜中には机に座って勉強をするのが世の学生の常だが、もともと高くなかった学力がここに災いし、勉強に対するモチベーションなぞ皆無に等しかった。

テレビもないゲームもない、マンガは違う部屋にある。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」のリズムに乗れるくらいに、夜に広がる景色はずいぶんと閑散たるものだった。末期には学習机にオセロ盤をひろげ「ひとりオセロ」に興ずるくらいに娯楽レベルは衰退の一途をたどっていた。そんなある日、リビングの一角にとあるものを発見する。

それがラジオだった。

深夜の勉強とラジオ。何十年にわたり続いているその蜜月の関係を自力で発見できたことは、果たして趣味という分野において大きな舵を切ることとなる。

携帯ラジオだったため、音が漏れる心配もなく、入口の襖の扉からは見えないような位置に隠して机に向かっていれば、親の目からも逃れることができる。そして何より夜中にやっている番組のおもしろいことおもしろいこと。普段テレビで見るようなタレントがラジオでしか見せない顔を覗かせ、時には過激なトークに花を咲かせるその風景は、まさにパラダイスそのものだった。教科書の上にハガキを置き、ネタハガキやお便りを送るようになったのもこの頃からはじまった趣味であり、今なおその経験は様々な場面で活かされている。ここもそのひとつと言えるかもしれない。

というわけで、テーマ「勉強しないとロクな大人にならないぞ」もとい「ラジオとの出会い」でした。

長くなりそうだったので、一度ここで区切ることにします。また近々、続きの話を書いていきたいと思います。よしなに。