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白いカーネーション「母との思い出」

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母を亡くして、まだ実感もないような、不思議でなにか落ち着いているような自分。それを受け入れるために、その気持ちや母との思い出を書いていこうとおもいます。私が手紙や文を書くのがすき…
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記事一覧

白いカーネーション・16「千の風になった母」

先日、とうとう、母の納骨がすみました。 お葬式のときはバタバタして お骨を祭壇に安置して …

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・15「母の逝去と皆さんからの言葉」

最期のお花見エピソード4にもかいたように 本当に母は、私たちが悲しくないように すべて計算…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・13「天国へのお土産」

母は私が絵をかいたり、 文を書いたりすることを とても喜んでくれました。 けっして器用では…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・14「お花いっぱいの棺」

母はほんとうに きれいな顔で眠っていました。 いつしか、お化粧もしなくなってしまったけれ…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・12「納棺師さんへの感謝。湯かんと納棺の儀式」

15時になり いよいよ母が納棺される時間が来ました。 男女ふたりの納棺師さんが、 丁寧に準…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・11「またまた、涙と笑い。母にしてあげた最期のネイルとメイク…

お通夜の日。 15時頃、納棺の予定でした。 仏間に敷かれた布団にいる母は、 ほんとうに眠っ…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション10・「義姉への感謝」

母は今年の四月、 まるで私たち家族の予定を 把握していたかのように、 ものすごいタイミングで、 すっと逝ってしまいました。 他のエピソードにも書いたように 本当に見事なほど あっぱれでもありました。 しかし、実は母は17年前に、 くも膜下出血で、半身が不自由だったのです。 父を見送ったあと、 まだまだこれからという時期でもありました。 当時同居をはじめていた次兄一家が その異変に気がついてくれて、 手術をうけることができたのですが やはり大きな手術のあと、 歩行も難

白いカーネーション:9「Who are you?」

母が最後にお世話になった施設では、 本当によくしていただきました。 古い自宅にいたら 暑い…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション:8「明日、いっちゃうかもよ」

母は、心の強い人で、竹を割ったようなところもありましたがが、 実は寂しがりで、情に厚い人…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・7「遺影はこれにしてほしい」

今まで何人かのご葬儀に参列してきましたが、 斎場にはいった瞬間、 パッと目に入ってくる「遺…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・6「ばばシャツの義母に」

この記事を書くまえに、 主人にお義母さんの、「こういうこと」をnoteに書いてもいいか と聞き…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・5「母とズッコケの対面」

母の知らせを受けて、急いで準備をし新幹線に乗りました。 いつも母の面会に行くときの、新幹…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

母が亡くなる十日ほど前、偶然、姉と予定が合って一緒に面会に行けました。それが最後でした。…

スーザン
5か月前
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白いカーネーション・3「母の最期」

母が亡くなったのは4月の晴れた金曜日。その日はひさしぶりに全く予定がなく、ゆっくりと街に出かけたところでした。施設からの着信に次のホームへおりてかけなおしました。 母はその日の朝、ご飯もしっかりと食べて、スタッフさんと会話もし、"出すものもだして" きれいにしてもらって……。お昼ご飯に呼びにいったらもう逝ってしまっていたそうです。 最後にそばにいてあげられなかった……、頭の中が一瞬真っ白になりました。やっと、気を落ち着けてみんなに連絡をとり、家へ戻り、実家へ行く準備をしま