富士山麓に多く泣く
私は、神奈川県の小田原市に住んでいるため、毎日、富士山を見ている
・・・のっけから噓を言ってしまった。雨の日や曇りの日は見えない。
現在は、自宅の西側に二階建ての家が数件あって見えないが、子供の
頃は自宅の窓から見えた。だから、富士山を見ることに特別感がある
訳ではない。
以前、とあるブログを読んでいたら、「都内から神奈川中部に引っ越して
来て、毎日、朝起きると窓から富士山が見える。この生活は素敵!」という
文章が富士山の画像と共に掲載されていた。
もちろん、それは素晴らしいことであろうし、私は別にそのブログの方に
何か文句を言おうとかどうとかいうつもりはない。
ただ、その時に感じたことを記しておきたい。
毎日、自宅から富士山が見えるから、のんびりと楽しむ。富士山が見える
生活を楽しむ。そこから生じる幸福感を味わう・・・そういったことは
素晴らしい。だが、高度なネット社会に生きる我々は、得てして、
そのことをブログやSNSなどに「アップ」して、さらには「いいね」
などをつけてもらい、承認欲求などを満足させよう、いや満足させないと
気が済まない、という状態に陥ってしまうことが多くなってきてしまって
いないか。
少し話を変えれば、スポーツをすることを楽しむことよりも、スポーツを
している様子を撮影してネット公開して人々に見てもらうことの方が大事に
なってしまっているような感覚だ。
なんでもないような事だと思われるかもしれないが、上記のようなことが
極まっていくと、自分が好きな人と付き合うのではなく、人々がいいと
思うような人を恋人にしようとか、自分に向いている仕事や適している
仕事ではなく、世間的なステータスの高い仕事をしようとしたり、
その仕事にしがみついたりといったことになっていってしまうのでは
ないか。それでは、個人の人生だけでなく、社会全体もどんどんと
どこが歪んだ、虚しいものになっていってしまうのではないか・・・
やはり、富士山は、日本一の山。我々に様々なことを教えてくれる。
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