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田舎と都会の環境の差
最近とても痛感したのだが、「田舎」と「都会」では環境が違いすぎる。
何を当たり前のことを、と思うかもしれないがこれはとても大きな問題だと思う。
「都会」にあるものが「田舎」には無い。
たったそれだけのことだが、これによって人々は大きな影響を受けてしまう。
例えば、「興味の対象」が限られてしまう。
「都会」にはモノや情報が溢れている。
つまり、それだけ多くのモノに触れ、多くの情報、価値観、文化に触れる機会がある。
こういう環境で生きている人々は、様々なモノに興味を持ち、活動の幅も広くなる傾向はあると思う。
それに引き換え、「田舎」にはモノが少ない。情報も少ないのに加え、古い。
こういう環境で育った人々は、そもそも興味を持つ対象が少なく、限られてしまう。
考え方も固くなり、時代錯誤な考え方も身に付けてしまう。
当然、活動の幅も狭まってくる傾向にあると思う。
「インフラ」についてもそうだ。
最近よく聞く、Ubereatsや5Gといったものは「田舎」にはほぼ無い。いや、全く無いというのもあり得る。
都内では町中をよくUbereatsの人が走っているが、少なくとも、僕の栃木県では見たことがない。
テレビを見ていると、Ubereatsが全国に普及しているような感じで、さも当然のように取り扱っているが、あれは所謂「都会」だけの特権だ。
――5G?
そんなものは「田舎」に存在しない。
このように存在しないものについては、「知る」ことはない。
なぜなら、知る必要が無いから。
知ったところで、使えないから。
よく「今はネットがあるから知ろうと思えば何でも知れるだろ!」とか言っている人がいる。
それは間違いない。
だが、意識的に知ろうとしないと情報すら手に入らない「田舎」と、無意識に情報に触れ、使う機会のある「都会」では得られるモノに差が出てしまうだろう。
現在はコロナ禍で、「都会」へのアクセスが躊躇われる状況にある。
つまり、「田舎」に住む人々は新しい文化や価値観、情報に触れる機会が減っている。
このままコロナ禍が長引けば、情報の格差は大きくなり、「田舎」における文化や価値観は、ますます時代錯誤で閉鎖的なものになっていくだろう。
「田舎」に暮らす僕も、意識していないとすぐに時代錯誤で頭の固い人間になっていくだろう。
というか既にその兆候が出ている。
「都会」に暮らす友人と話したときに、はっきりと考え方の違いを感じた。
――嫌だな。
――頭の固い人間にはなりたくないな。
やはり、「都会」に行ってその文化に触れられないのはキツい。
とはいえ、できることはある。
とりあえず僕は所謂「都会」に住む友人達に積極的に連絡をしてみようと思う。
彼らの生きている世界に触れ、学んでみようと思う。
友人の少ない僕だが、幸いにして一人一人は深い仲で信頼できる人達だ。
学べることはきっと多いだろう。