車輪の再発明は大事、という話
車輪の再発明とは?
車輪の再発明とは、上記のようなネガティブな意味で使われている表現です。同僚が「車輪の再発明、上等」という話をしていて、大変共感してみました。少し自分の感覚を話します。
試行錯誤の重要性
何か物事を成すときは、一直線に進んだほうが効率が良いですね。
例えば数学で既にわかっている定理を、その証明から考えていたのでは時間がかかってしまいます。
明確な目的を効率よく達成するための「車輪の再発明」はネガティブな意味でしょう。
一方で、その定理を再度証明することが無意味か、と言われればそれは違う。学びというのは本来、目的達成までの「試行錯誤」にこそ意味があると考えます。
例えば料理のレシピを見てそれを再現するためには、料理の経験や知識が豊富でないと難しい。材料の特性、各工程の目的などを読み解けないと、再現ができません。
私も最近、うどんづくりにハマっています。うどんは小麦粉、水、塩だけで作る分、混ぜ方・こね方・水分量・茹で加減でだいぶ味が変わります。おいしく作れるようになるまでには4,5回のトライが必要でした。
この自分なりの試行錯誤こそが学びであったと感じます。
納得感に至るための試行錯誤こそ学びでは
回りくどくなってしまいましたが、一番言いたいことは「自分の納得を求めて試行錯誤することは真の学びであり、自らの成長である」ということではないか、ということです。
やれ効率だ、生産性だ、と騒がれる現代において、泥臭い行動は否定的に見られるかもしれない。が、車輪の再発明のような試行錯誤こそが自分を成長させる最も重要なやり方ではないでしょうか。