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ふるさとの話

次の次のプレバトの俳句のお題は「ふるさと」。故郷の思い出や想いは色々あるけれど、たった17音に抑えるのは難しい。

ということで、このnoteで色々整理する。


ふるさとの思い出

生まれた時から10年間、ふるさとで幼少期を過ごした。楽しい思い出ばかりじゃなかった。しんどいこともあった。
ようやくしんどいことが落ち着いて、仲良しの友達もいて、学校に行くのが楽しくなってきた。そんな時に引っ越すことになった。10歳の夏休み前。

両親が引っ越しを決めた理由が転勤ではなく、「広い家に住みたい」だったから、私は大いに反発した。抵抗した。恨んだ。
正直、今でも恨んでいる。

やっと心地よい世界を手に入れたと思ったのに。なんでそんな理由で環境を変えられなきゃいけないんだ。なんでこのタイミングで誰一人知らない人間がいるところに飛び込まなきゃならないんだ。
そんな気持ちでいっぱいだった。

その年の夏休み、仲の良かった友達と地元のプールに遊びに行った。なぜかラブアンドベリーの水着を着て、堂々とプールに向かう並木道を行く私に友達はツッコミを入れた。自販機のアイスをみんなで食べた。笑った。楽しかった。

手紙で何度かやり取りをした。当時はスマホなんてなく、ガラケーすら持たせてもらえなかった時代だった。
時々会ったりもした。いつまでも仲良しでいたかった。距離が離れても、あんなに仲が良かったんだから、私たちは大丈夫だと思っていた。
けれど、どちらからともなく手紙のやり取りはなくなった。お互いに手紙のやり取りを面倒だと感じるようになっていたのだろう。

それからもさまざまな別れを経験して、「縁は努力」なのだと痛感した。

12年後

それから12年経った頃、ふるさとに行った。

就活で悩んでいた時に、色々とメンタルが終わっていたので、占いの「懐かしい場所に行け。さすれば道は開かれん」的な言葉を半分信じ、半分リフレッシュ目的で行った。真冬だった。
「桜通り」なんて名前の通りだけれど、1つも桜の咲いていない木々の並びが懐かしかった。
桜通りの横を地元のバスが走る。違う町に引っ越して、このバスはどこでも走っているわけじゃないと知った。

かつて住んでいたマンション。隣りに公園があるのは変わっていない。このマンションのドア、めちゃくちゃ重たかったんだよな。
小学校はマンションの目の前にあるのに、近すぎると怠けるのか、いつもチャイムが鳴るのと同時ぐらいに下駄箱に向かっていた。それで先生と母に怒られた。
小学校には、裏庭があるのがお気に入りだった。でもその裏庭を抜けて向かう水泳の授業は大嫌いだった。

マンションの近くに八百屋があった。そこで初めてのおつかいをした。確かじゃがいもを買った記憶がある。
少し歩いた所にお医者さんがあった。そこで初めての注射を打たれた時、そんなに泣かなくてもいいのに、というぐらい泣いたな。

私の作文に愛ある駄目出しをしてくれた担任の先生、元気にしているだろうか。あの頃の友達は、好きだった人は、今はどこで何をしているのだろう。

懐かしかった。立ち寄った場所すべてが記憶のトリガーになった。

やっぱりどんな町に行っても、どんな都会に行っても、ここは最上の町だ。
ここに、住みつづけていたかった。

いくつになっても、ふるさとに勝る景色はない。

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