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【雑記】寄り添わない人みんなバカだと思った日のこと(または、休職前の自分の状態の備忘録)

自分の選択に後悔したタイミングは、腐るほどあった。


 最初は、大学の1回目の授業だった。
 次は、大学院進学を選択した時だった。
 三度目は、企業の入社前研修の時。
 四度目は、会社で研究職に配属された時。

 どれも、間違えた。

 どれも、楽しくない。

 実感の伴った、辛い辛いの積み重ねなのに、自分の気持ちを無視した。


 「これは将来のための勉強だから」

 「これは、仕事だから」

 「仕事はお金を稼ぐためのもので、仕事に我慢はつきものだから」


 仕事を楽しくしたいと思ったけど、仕事が楽しいと言っている身近な人は、危険な生活をしているように見えた。

 雇用が安定していなさそうなライブハウスで働いたりとか、バイトと掛け持ちしなければ、生活できないとか。

 あと、仕事が楽しそうな人は、留年したり、大学の卒業を諦めているヒトが多かった。


 「大学も卒業できていない人に何ができるんだ」


 誰でもない、自分の中からそんな声が聞こえて、仕事が楽しそうなヒトが話すことを脳内でこき下ろした。


 そして、自分の不満の声を軽んじた。

 どう考えても、研究なんか向いてなかった。

 いつも研究のことよりも、体調を崩している同じ研究室の先輩が気になったし、みんなが気づく研究上の計画ミスは全然気にならなかった。

 私はここにいた方がいいのか?と思うと、足元が揺らぐので、一旦その問いをたてることもやめた。

 

 入社1年目から、私は仕事ができなかった。

 初めは、部門長に、やんわりと「大学で何を学んできたの?」「研究職、向いていないんじゃない?」と言われていた。

 

 それが、だんだんと、

 「相手の立場になって仕事できていない」

 「成果を出る方法を考えられていない」

へと部門長の言葉は変わっていった。


 その通りだと思った。

 だめだ。向いていない。


 でも、私は、受験で第一希望以外落ちたことがないんだぞ。

 入りたい、そう思って、選んだ道で、学校に拒まれたことがないってことは、私は必要とされているってことじゃん。

 必要とされたら、その他人の期待に答えるんだよ。

 

 私はすでに就職しているのに、5年や10年前の中学受験や大学受験の自分を思い出して、自分を鼓舞した。


 あの時と今違うのは、私の”頑張り”だ。私には、頑張りが足りないんだろう!

 

 間接部門である配属先の研究部門は、残業費が削減されていた。

 だから、どうしても残って作業したい時は上司に丸投げするか、自主的にやる必要がある。

 「自主的にやる」とは、サービス残業だ。

 そうして、”頑張った”ら、評価され始めた。

 入社5年目には、1年間、海外赴任したりした。

 6年目の30歳の年齢には、係長になった。すでに課長になった同期もいると聞いているから、早い昇進なんかじゃ、全然ない。

 でも、人から褒められた、認められた気がして、嬉しかった。


 なりたい自分になれている気がした。

 自分のやりがいや気持ちをすっかり軽んじた私は、お金を稼ぐことに執着していた。

 今の職場で給料を上げよう、どうすれば一円でも多く収入を得られるか、そればかりを考えていた。


 ただ、仕事は楽しくない。

 なんて会社だ、なんて仕事だと毎日思っていた。


 

 様子がおかしくなり始めたのは、係長昇進後、数ヶ月くらい経った頃だった。

 今までは指示通り仕事をすればよかったのに、急に増えた直属の上司Yさんからの言葉。

「やりたいことは何?」

 やりたいことなんかねえよ。

 なんだ急に。成果とか、相手のためとか、そういう話だったじゃないか。


「仕事で達成したいことある?」

 給料あげたい以上に、達成したいことなんてあるかよ。


 と、Yさんの言葉に対して、いちいち口汚い文句を心の中で投げた。



 自分の感情を抑えられなくなったのは、5月の業績評価面談だった。

 業務目標を、上司と共有するWebシステムの私の記入シートには誤字脱字が多かった。

 それをYさんに指摘された瞬間だった。


 「野崎さん、もう係長なんだから、こんなとこ間違えないでよー」


 上司のYさんは、ヘラヘラ笑いながら言った。

 指摘するべきことをきちんと伝えつつ、空気も柔らかい雰囲気のままにするYさんは、優しい。


 Yさんは、私が仕事で辛かった日には飲みに誘って、一緒にご飯に行ってくれたりした。私の恋人が裏でTinder無双しており、私がその浮気を特定したときも、ゲラゲラ笑いながら聞いてくれた。その話は、結果、私の方がボロクソに振られるという結末付きなのだが、『元気でいいねー』と一緒に日本酒を飲みながら、話を聞いてくれた。


 Yさんは、相手のために、会社のために考えをめぐらせて、仕事をしてる人だ。

 そんなことはわかっているのに、今は、Yさんのことが憎くてたまらない。


 「野崎さん、今仕事楽しい?」

 Yさんが上司になってから、よく聞かれるようになったその言葉を聞くたびに私は辛かった。自分に正直になればなるほど、目の前の業務が手につかなくなった。その度、給料を上げることや、昇進することに頭を使い、私は晴れて昇進できたのに、この気持ちは何だ。全く、仕事は楽しくなっていない。

 他者の評価ありきで、仕事の中の選択に納得してきた。他者の評価ありきで、仕事への自信や納得感を得てきた。それなのに、昇進してから、自分の考えややりたいことなんて聞かれても、そんなの全くないに決まっているじゃないか。それなのに、なぜ昇進なんてさせたんだ。もうやりたいこととか、自分の気持ちなんてわからない。


 「申し訳ありません。もう職場に貢献していないので、申し訳ない気持ちです。

  会社の誰に話しかけられても、不快です。

  話したい気持ちよりも、嫌になります。

  今の自分が本当に嫌いです」


と、業務評価と全然関係ないことを、私はスラスラと言った。


 Yさんの顔は見れなかったけど、小さい声で「野崎さん、心が折れちゃったんだね」と言われた。その後、Yさんから励ましの言葉や褒めの言葉をもらったけど、脳内はずっと、「もうだめだ」「やり直しが聞かない」という自分の声が邪魔して、何をどうすればいいかわからなくなってしまった。


 目から出る水分が枯れ切った段階で、曖昧に「もう大丈夫です。元気になりました。仕事がんばります。ありがとうございます。」とそう言って、私はYさんとの面談を終えた。



 もう本当に放っておいて欲しい。

 もう、この人生は失敗、大失敗だ。せめて、人生を一時停止したい。


 次の日は、休んだ。

 気持ち悪くて、全然お酒なんか飲んでないのに、吐き気が常にする。


 仕事から帰宅後、家で呆けてる私を見て、心配した同居人が、近所のメンタルクリニックを調べてくれた。

 クリニックには、Google Mapで4.0の星がついていた。4.0の星がついた居酒屋なら、だいぶ美味しい店だろう。

 迷わず、当日中に、私は、その4.0の星が付いたクリニックの予約をとった。


ーーーーー


 クリニックが入っているビルは、よく行く飲み屋街の中にあった。意外と身近にあったのに、調べなければならないほど、全く視界に入ってなかったのか。


 クリニックの入り口の扉を開けると、10人以上の大人がいた。

 「みんな、元気がない人なんだ」

 そう思うと、私は少し元気がでた。


 それにしても、待合室が、ニンニクくさい。

 隣の有名イタリアン居酒屋が、元気に営業中なのか、名物料理のしらすとニンニクてんこ盛りのペペロンチーノと同じ匂いが、室内に充満している。飲みに行った時は、私をニヤニヤさせる匂い。この瞬間は、それが恨めしい。



 ”病院は医療機関です。患者様も全員マスクの着用をお願いしています。”

 受付を済ませて座ったベンチの前方の張り紙が、目に入る。


 遅いよ。入室してから言うんじゃないよ。

 と、張り紙に心の中で喧嘩を売る。

 マスクを付けていない、顔の下半身を丸出し状態にした私は、イライラしていた。

 しかも、受付を完了してから、すでに30分ほど経っていた。それなのに、呼ばれる気配がない。


 予約時間を確保した理由はなんだよ。

 

 何もかも、遅いんだよ。


 「野崎さーん、1番にお入りください。」

 事務的に放送が流れたので、私は①の札がかかっている扉を開けた。


 カウンセリングルームには、妙に格式ばった机の上で、碇ゲンドウみたいなポーズで待っている金色で短髪の精神科医がいた。

 金髪のゲンドウは、何を防ごうとしているのか。彼の前には、FXでもやっている人が設置しそうな、大モニタくらいのサイズの透明な分厚い仕切り板があった。


 前にメンタルクリニックに勤めている医者から聞いたことがある。

 その人とは、大学院生時代に参加した勉強会で会った。彼女は、ドラマ化されたら、吉田羊さんが演じそうな美人で、”シュッとした”という形容詞が似合う女性だった。彼女は、よく病院での苦労話を教えてくれた。

 「メンタルクリニックの患者さんは、いろんな人がいますよ。私は、指を噛まれたりしたことあります」

 彼女はニッコリと教えてくれた。



 ああそうか。防ぎたいのは、目に見えない菌だけでなく、目に見えるヒトである可能性もあるか。

 私は指を噛まないタイプの患者ですよーとニヤニヤした気持ちを抑えて、金髪のゲンドウの前にゆっくり座った。

 正面からみたゲンドウは、本物の碇ゲンドウよりも線が太く、がっしりとした筋肉質な体型だった。よくみると、ゲンドウらしい要素は、髪型しかなかった。


 「いかがしましたか」

 ゲンドウはニッコリと私の方を向いて、聞いた。


以下、やりとり 

私「仕事が辛くなりました。楽しくないです。

  昇進して、仕事でやりたいことないの?とか、そういうことを聞かれると苦痛です。

  自分の研究が会社の貢献をしている気がしないのに、給料だけ上がって辛いですし、

  何より目の前の業務が、作業が楽しくないです」


金髪のゲンドウ(以下、ゲ)「そうですか。辛いですね。でも、仕事ですから、楽しい必要ありますか?」



私「いや。楽しくなくても、給料分の働きをしている実感が欲しいです。

今は、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで。

  私は、能力がないし、失敗した、人生だめだって気がします」


ゲ「野崎さん、評価されているじゃないですか。評価を決めているのは自分ですよ。

  野崎さんの問題です」


私「大学から得意じゃないことをやっている感じがするんです。

  数学とか苦手で、ずっと気づいていたのに、頑張りが足りてない、そう言う気持ちで

  無視してました。自分の気持ちとか、そう言うことに。

  (このあたりで、私は話しながら泣き始める)

  今の辛い状況も、抜け出せない。

  進路変更しようとして、転職活動してもうまくいかない。

  大学選びから、私は失敗したんだ。

  もう取り返しがつかない。

  どうすればいいのかという気持ちになってしまって、動けません」


ゲ「真面目ですね、野崎さん。

  それに、そんなことはないですよ。

  人生に、失敗や成功はありません。そんな判定しないでください。

  そんなこといい始めたら、野崎さんのお父さんとお母さんが出会わなければ、とか

  おじいちゃん、おばあちゃんがいなければとか、そう言う発想になりませんか?

  日本がなければいいとか。ね、そういった考え、思考になりますよ。」


 そんな思考には、ならねえよ!

 日本は、あった方がいいだろ!!

 馬鹿にしてんじゃねえよ!!


 心の中の私は、立派なリーゼント頭になった。

 しかし、心の中の私の服はまだ、お気に入りの柴犬トレーナーを着用している。


 リーゼントと柴犬トレーナのあいだ。私の中に、人格が2つある。


 柴犬トレーナーの私が思う。

 会って数分で気持ちを共有することは難しいのかもしれない、と。


私「そこまでにはなりませんけど」


 相手に聞こえなくてもいいやと言う気持ちで、私は小さく答えた。

 そのためゲンドウには、その返事は聞こえなかったのかもしれない。調子を崩さないまま、ゲンドウが続ける。


ゲ「仕事に集中する。覚悟する。これをやってみるのはどうですか?

  野崎さん、覚悟が足りていないんですよ。目の前のことに懸命になってみてください

  (前ならえのポーズで、顔の前で手を上下に動かしながら、伝えるゲンドウ)」


 私を懸命に取り組んだことがないヒトだと思っているのか。ジェスチャー付きで、ゲンドウは教えてくれた。

 ため息が止まらないくらい呆れると、ヒトは呼吸が止まるのかもしれない。私の喉と肩は、ずっと力が入ったままだ。


私「頑張る、元気がないから。元気がないから、今日、ここに来たんですよ、、」


 心のリーゼント頭も、現実世界の頭も垂らした私は、絞り出すように、ゲンドウに伝えた。


ゲ「(私の語尾に被せ気味に)頑張る必要ないです。

  頑張るって、頑(かた意地)を張ると書くんですよ。むしろ、頑張ったらダメです。

  懸命です。懸命とは、目の前のことを務めるということですよ」


 何が違うのか、わかんねえな。

 もう怒りで、私の涙は引いていた。


ていうか、相手の話に被せて返してんじゃないよ。


相手の話を聞くことも大事なんじゃないの?さっきから、どう考えても、あんたの方が話しすぎだ。

箭内道彦がやるインタビュー記事じゃないんだからさ、歌手よりも、インタビュアーが喋ってんじゃないよ。


怒っている時、私は関係ない人も傷つけそうになる。

(箭内道彦さんは、何も悪くない。当たり前だ。)


そんな自分の様子を内側から見ていると、少し冷静になれた。


現実のカウンセリングルームには、10秒程度の沈黙が流れた。

私は、少し丁寧な説明を試みた。



私「10個のタスクを8時間でやる。これなら、懸命に取り組む元気が、私にはあります。

  ただ、今の仕事は、そうではないんですよ。

  集中して、考えて、解決案を出す。

  そういう能力とか、元気とかがないことに自信がないんです」


ゲ「(被せ気味に)わかります。クリエイティブな仕事なんですよね。

  でも、他者の評価ばかり気にしていたら、仕方ないですよ」


私「いや、仕事は評価されるものじゃないですか。

  好き勝手に、やりたいことをやるわけじゃ、、」


ゲ「(私が言いかけていることもお構いなしに)

  でも、野崎さん、評価されてますよね。すごいことです。昇進して

  (すごーい、って感じで手を叩く)」


 本当にダメだ。本当に疲れた。

 リーゼント頭もすっかり外れて、私はありのままの姿に戻った。

 今の私は、どんな服を着ているのだろう。柴犬トレーナだろうか。


 いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。


 ゲンドウの前にある透明の仕切り板は、真に透明じゃない。

 きっと、色眼鏡仕様だろう。

 目の前に、自分の言葉で気力を無くしている人がいることを、ゲンドウは理解できていなさそうだった。


ゲ「(キモいくらい、ゆっくり優しい口調になりながら)

  私が言いたいのは、今辛いのは、ご自身の問題だと言うことです」


うるさいな。

私もわかっているんだよ。だから、ここに来たんじゃないか。

自分の問題を自分で抱えきれない時にくるのが、あんたのとこのクリニックじゃないのかね。


私「(大袈裟な位、頭を下げながら)はい、わかりました」


もういいや。

休職するために必要な書類を取りに来たのだと思おう。

この人と話しても、この人が信じた正論を聞くだけだ。


ゲ「(また、キモいくらい、ゆっくり優しい口調になりながら)

  決めつけているわけじゃないですよ。

  ただ、私も13年間カウンセリングの経験があって、それで、

  多くの皆さんに当てはまるパターンが、それだ。

  野崎さんのようなパターンだ。

  それだ、自分の問題だ。と言うだけの話です」



この文章で、私がむかついたポイントが3つある。

  1. 経験則でばかり相手を見ている(∵「13年間のカウンセリング経験」)

  2. 初めと終わりで筋が通っていない(∵冒頭、「決めつけているわけじゃない」と言いながら、「それだ」と断定している)

  3. 問題を矮小化している(∵「と言うだけの話」)


 脳内でこんなことを考えていたら、現実世界では数秒が流れた。


 私から向かって右側にある、受付に通じる扉が開いて、受付の人が小さく「先生、そろそろ」的なことを言った。


 きっと私のように、長々と話す人はいないんだろう。



 そうか、全身を医療脱毛した時の担当医も、そうだった。

 看護師さんや説明員の人がカウンセリングやコースの説明を行い、医師は、簡単な確認と脱毛の承認を、数分以内で行っていた。


 また、間違えた。

 精神科医に、細かく説明する必要なんかなかったのか。診断してもらって、休職に向けた診断書をもらう。そんなドライな感じでよかったじゃないか。


 受付の人に催促されたとはいえ、ゲンドウもこのまま終了するのはまずいと思ったのか、話を続けた。


ゲ「やり方、考え方に問題がないか、自分で振り返ってください。

  野球選手でも、毎日、何回もボールを投げても、

  肩を壊す人、壊さない人、両方いますね。

  これは、やり方の問題で、能力の問題でないです。

  野崎さんは色々試行錯誤される方なので、もう、ご自身でやってるかもしれません。

  が、ノートに書いてみるとか、それをやってみてください」


私「はい」


と言うか、そんな正論を言われて、「はい」以外に言えることあるのかな。


ゲ「どうしたいですか」


決断できなくて、動けない人に決断を迫るのか。

うんざりした。でも、そうだ。この人は、社会の”手続き”に必要な承認をくれる人だった。

多くを求めてはいけない。


私「会社を休職したいです」


できるだけ、どんな感情も含めず、サラリと答えた。


ゲ「わかりました。

  そうですね。いいと思いますよ。 

  野崎さんは自信がないと言っていますが、評価してくれる環境があるんですから、

  一回離れて、よく考えてみてください。

  一旦、6月末まで休めるように、診断書を出しますね」


 これ以上、自分で考えなきゃいけないのか。そう思ったら、うんざりした。診断書はもらえるようだ。会社から離れるための書類があれば、大丈夫。もういいや。この人とは、これ以上話したくない。


 待合室には、先ほどと同じくらいの人数の人が待機している。この人たちを救う方法は、このクリニックにあるのだろうか。

 そんなことを考えながら、私は会計を待っていたら、受付の人から「簡単なテストが先生から出ています」と言われながら、ペライチの紙を渡された。表には漢字テストと計算問題、裏には「木を書いてください」という文言がある。クソが。そのペライチの紙が、いつか見たアニメで、精神が病んだ主人公が受けていたテストの内容だと気づいて、うんざりした。私は今から診断されるんだ。

 やっぱり自分で考える必要なんかないじゃないか、自分に正直になる必要なんかないんじゃないか。対話でなく、方法論が確立されたテストで、私は評価されるんだ。


 そう思うと、義務教育は心地よかった。点数で測られて、順位がつけられて、いい悪いが明白だ。


 そうして、私は小学校の頃の自分を思い出して、さっき出てきた扉を睨み続けた。



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