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祖父って最高だったな、という私の回想

うっかりしてたら、今年の祖父の命日はすぎていた。
お墓参りに行き忘れた。
そう気づいたのは、彼の命日の2日後だった。


おじいちゃんがなくなった

60代の父から受け取った、上記のひらがなのみの文面で、私は祖父の死を知った。
当時の私は、仕事の都合で、中国にいた。
それもあって、祖父の死がまだまだ現実味がない。

しかし、もう2年前のことだ。

おじいちゃんは、ずっとクレバーだったねぇ
これは、私の父がしみじみと言ってたことだ。

共働きの両親のもと育った私は、幼稚園から小学生低学年までの長期休みのほとんど、を、父方の祖父の家で過ごした。
だから、私は、その頃の祖父の印象が強いかもしれない。

祖父は、正直な人だったと思う。

幼稚園も上りたての頃、私は数体のぬいぐるみで小劇団を作っており、私は、それを祖父が見てくれることが嬉しかった。
それなのに、あなたは、時々、『こんなの!全部!人形!全部、〇〇さん(※)の予定調和だ!!』
と怒りましたね。
※ 私のこと。我が家の親、祖父母は、私のことを"名前+さん"で呼びます。

当時の幼い私でも、そこは触れてくれるなよ…と思ったもんですよ。

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祖父は、寝る前に、いろんな話を聞かせてくれた。
私は、それを聞けるのが、毎晩嬉しかった。

特に、幼稚園の頃、祖父が寝る前に話してくれる、改変版桃太郎が、私は、だいすきだった。
「なんで、犬、きじ、猿を誘ったの?」
と私が聞けば、でたらめな各動物たちの得意技を教えてくれた。時には、"犬、犬、犬"の布陣で挑んだ桃太郎ストーリーを聞かせてくれた。これは、祖父がダントツの犬派だったからだろう。
とにかく、祖父のアドリブ力は素晴らしかった。

うれしくて、
「おばあさんが拾ったのは桃なのかな?」
「おばあさん、川で洗濯するの大変?」
と好きなように聞けば、即興で、祖父が別のストーリーを聞かせてくれた。

孫である私はいつも楽しくあなたの話を聞いていました。
それなのに、あなたは、『もういい!寝なさい!!!』と突然話をやめましたね。
当時、私は「なんて理不尽な…」と思いました。

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祖父は、近所の人と仲が良かった。
私は、いつも、それが羨ましかった。

すっかり私も小学生か中学生の頃だったか。

祖父と一緒に散歩をすると、前の職場の教え子だと自称する人によく話しかけられていた(祖父は教師だった)。
その度、祖父は、『あの人は〇〇が得意』『〇〇な経歴なんだよ』と話してくれた。
校長まで務めた彼のことを、「なんかすごそう」だとは思っていた。ただ、これらの会話から、「祖父、いい奴」だと思った。

あなた、ああいうとこは、最高ですよね。

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祖父は、犬が好きだった。
私にとっては、異様なくらい。

そのとき、祖父は、80を超えていた。
私は、大学生くらいだった。

「もう、先も短いし、犬を飼ってもね…面倒とかね、みれないかもしれない…」
と落ち込みながら、祖父が話してくれたことがあった。

ちょうど、2人で、祖父の家の前の坂道を散歩している時だ。

祖父の家の前の道は、ゆるい上り坂になっていて、
私が小学校の頃は、2人と1匹で散歩した坂道。
今は2人でゆっくり進んだ。

「そりゃあ、そっかあ」と私は、曖昧に返事した。

犬もいない坂道は、無言で歩くしかなかった。

犬で重くなった空気は、犬が解決してくれる。
前方から来た近所の柴犬。

祖父は即座に駆け寄り、
「あらーかわいい。何歳ですかぁー(↑↑↑)」
と、柴犬さんと飼い主さんに話しかけた。

「こんにちは。○歳です」
と答える柴犬さんの飼い主さん。

祖父が嬉しそうなのを見て、私も嬉しかった。

飼い主さんと別れた後、
「よかったね。ご近所の柴犬、かわいいね」
と私が言った。

「あのようにして、私は、散歩中の犬を触らせてもらってるんですよ」
と急な丁寧語で返す祖父。

あわせて、
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」
とわざわざ悪そうに片方の口角を上げて、笑っていた。

この時の祖父の顔がおもしろかったので、私は吹いた。
それを見て、祖父は満足そうにしていた気がする。

あなたは、そういうときコミカルで最高だったよね。

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