今を生きるための物語を
自分の中に無いものは書けない。
これは作家としての矜持だ。
友人の筆が改めて、そう思い起こさせてくれた。
「もっと、ストーリーにエグみを」と求められたとしても、
エグみの無い人に、エグみは表現できない。
小手先で絞り出そうとすれば、それこそロジックが崩壊する。
それだけ、物語は嘘をつかない。嘘をつけないんだ。
だけど、エグみの無い人が、
エグみの一切無い爽やかなストーリーを書いたならば、
それはそれで、とても素敵な物語ではなかろうか。
純粋に、その人の中から絞り出されたエッセンスを味わいたいと思う。
しかし実は、エグみの一切無い人などいない。
エグみとは…自分の中の、奥の奥底に眠っているものだからだ。
だから、エグみを表現したいならば、自分の奥の奥底をエグらなければならない。
それはおそらく、前人未到の境地にまで至るだろう。
自分ですら出逢ったことの無い、怪物に出逢うかもしれない。
そんな怪物と向き合って、果たして、人は救われるのだろうか?
それはある意味、大きな賭けだ。
その怪物と向き合った時、解放される者もいれば、大きく傷つく者もいるだろう。
だから、物語作成は命懸けなんだ。
命を懸けて、筆を取る。
自分に対しても。読み手に対しても。
今を生きるための物語を書くために。
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