教養

なんか谷川俊太郎とボカロP?の人の対談記事がTwitterで話題になっている。
「谷川は詩人にも音楽にも詳しくて、ボカロPの人は宮沢賢治もビートルズもあんまり知らない。教養の差が〜」的なノリを軸にいろんな人が騒いでいると認識している。
教養っていう言葉を、博学っていう言葉と同じに捉えている人が多いのだろう。まあでも違うような気がする。なぜ教養はcultureなのか本当に正しくはよくわかっていないのだが、ザッとググれば「心を耕すから」的な安易っぽい解説に出くわす。でもじゃあ文化は教養と同義かと問われれば違うような気もする(面白いけれど)。
ただの言葉遊びにすぎないが、「自身の心を耕す」ような知識を持っていることであると同時に「ある知識、分野を耕している」状態であり、それはつまりそこから有益な果実などの生産物が得られる「耕された領域」を有している状態であると言ってみたときに、言葉遊びとは思えないほどにしっくりくる。だからまあ、そんなもんだと思う。無責任だよ。
そういう意味ではボカロPはバンプとか非教養的とされているアーティストたちの歌詞の感じとか、そこに潜む哲学のようなものを深く洞察して、自らの楽曲に生かしている訳で、限定された領域ではあるが徹底的に耕した場所、耕された場所を持っている=教養があるとも言える。
つっても、やっぱりいっぱい知っていることは教養につながるとは思う。でもボカロPの人は限定された領域から常人の何十倍もの情報を汲み取っているということでしょう。愛ゆえ。

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