「相手にこうなってほしい」という想いがどこからきているのか。
「相手にこうなってほしい」という想いがどこからきているのか。その想いが、深い業からきているのだとしたら。ただただ純粋に、時間を忘れるほどに熱中していた子どもへの過度な期待が生まれ、結果に一気一憂するとどうなるか。クスノキの番人を読んで深く考えさせられました。
ひとは都合のいい生き物で、感謝に溢れているときではないときにも、「相手にこうなってほしい」と無自覚におもっている。そのことに気づいていたい。子どもと一緒にいると、いつのまにか「わたしがこうしたい」「わたしがこうしたかった」の罠によく引っかかっている。
「相手にこうなってほしい」と思ったそのときは、わたしのこころが、感謝で溢れていますように。
いつも感謝で溢れているわたしでありたいけど、まだわたしには差があるようです。