同じものが好きじゃなくていい。フィンランドでみつけた自信。
半分呆れたような声で夫が言う。
と言って、夫の読みかけの本を指さす。
夫の仕事に関係する学術的な本や息子のためのスポーツに関する本。それらの本は日本語で書かれているはずなのに、むしろ意味の理解できないフィンランド語の方が、まだ興味が湧いてくるのが不思議だ。
私が思い浮かべる「本」は小説やエッセイといった、その世界に入り込めるもの。
中身は読めなくても、家にある本の背表紙を見るだけでホッとするし、本屋さんや図書館に行くとワクワクしてしまう。
夫にとっての本は、知識を得る手段。
私にとっての本は、娯楽だ。
その違いがあっていいと心から思えるようになったのは、フィンランドから帰ってきてからだった。
同じものを同じように愛でてほしい。
夫に対してそういう感情をもっていた。
そして、それができている人たちに憧れていた。
読んだ小説の感想を語り合ったり、カフェで本を読みながら過ごしたり、ということを夫婦でしてみたいと思っていた。
でも同じものを同じように好きになってほしいなんて、押し付けだよなぁと思うようになった。
大切なのは、好きなものを同じように好きになるのではなく、お互いの好きを理解し合うことなんだなと
フィンランドで食べた夏のルーネベリタルトが気づかせてくれた。
夏に食べた冬の味「ルーネベリタルト」
フィンランド旅行の最後の夜、友人がルーネベリタルトを出してくれた。
ルーネベリタルトは、1月から2月の冬の間しか販売されていない季節限定のスイーツ。
なぜ7月に??
と思ったら、私が食べてみたいと言ったことを覚えていて、わざわざ冷凍して長期保存してくれていたのだった。
「ちょっと味が抜けてしまってるかも…」と申し訳なさそうに眉毛を下げていた友人。
それでも初めて食べるルーネベリタルトはスパイスの味がして十分美味しかったし、夏に食べた冬のスイーツはとてもやさしい味がした。
私たちが女子トークを繰り広げている隣で、友人の旦那さんがこう言った。
みたいな会話をしていて、すごく微笑ましかった。
そして思った。
同じものを同じように好きじゃなくてもいいんだって。
そしてその空気感は、フィンランドで過ごした5日間、私をもっともリラックスさせてくれた見えないメッセージとなった。
友人の家では、朝食べるものや時間もそれぞれ違っていた。夏休み中だったからたまたまそうだったのかもしれないけれど、基本的に自分のことは自分でというスタイルだった。
友人は紅茶のみだったし、私と朝ごはんの時間が重なった8歳の娘ちゃんは、スイカを2切れ食べた後、牛乳をかけたコーンフレークを食べていた。
その後起きてきた息子くんは、黒パンをかじっていた。
私はヨーグルト、いちご、ルッコラとハムのサラダを食べた。
街歩きをしていたとき、よく見かけたのはブッフェスタイルのお店だった。
自分が食べたいものを食べたい量だけ食べる。
自分で思っていたよりも少食だった私には、ありがたいスタイルだった。
何を食べるか
どのくらい食べるか
いつ食べるか
自分で当たり前に決めていいと思っていたことを忘れていた気がした。
こうやって書いてみると、あきらかに自然なことなのに、なんで見逃していたんだろう。
食べるという、人間の三大欲求の一つをどうしてこんなにないがしろにしてたんだろう。
同じものを同じように好きじゃなくてもいい。
その気づきで、私自身の気持ちがすごく軽くなった気がした。
私の好きとあなたの好きのグラデーションを楽しむ
好きなものを同じ熱量、同じスタイルで好きになる。
そういう人に出会えたら、まるでもう1人の自分に会えたようで嬉しいのかもしれない。でも反面、怖さもあるはす。
だってそんな人はきっといないから。
同じに見えても、ちょっとしたズレや違いがある。
その方が自然だし、その方がお互いの好きも長続きする気がしている。
大事なのは、同じものを好きになるのではなくお互いの好きを理解し合うこと。
その想いをさらに深める出来事があった。
フィンランドの旅の余韻が残ったまま訪れたのは、夫の実家から30分ほどの距離にある長野県松本市。家族で松本市美術館に行った。
ミュージアムショップには普通の本屋さんでは見逃してしまいそうな本が並んでいるので、ついつい見入ってしまう。
かかとを上げて本棚を見上げていると隣にいた夫が「こんな本あるよ、好きなんじゃない?」と言って、下の本棚から抜き出した1冊の本を手渡してくれた。
私の「ヨシタケシンスケ好き」は、家族全員が理解してくれている。
だからヨシタケシンスケさんの絵が描いてあるだけで、つい手に取ってしまうし、欲しくなってしまう。
娘は「ママ、ヨシタケさんの本あったよー!」とたびたび学校の図書室で借りてきてくれるし、息子は「これ、新しいやつじゃない?知ってる?」と言って、同じように図書室で新刊をチェックして借りてきてくれる。
夫はヨシタケシンスケさんのファンでもなんでもないけど、喜ぶ私を見守ってくれている。
好きなものを好きといえる環境にいて、それを共有はできなくても、理解はしてくれる。
そういう夫だからこそ、ひとりでフィンランドに行かせてくれたのだと思う。
同じものが好きじゃなくていい。
その感覚の心地よさと小さな自信は、私がフィンランドから持ち帰った見えないお土産のひとつかもしれない。
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