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「ルックバック」、観た(1164字)

話題になったからというミーハー心と、徳澤青弦さんの関わった音楽を目当てに観てみた。
1時間という短めの映画でありながら、真っ直ぐで刺さる作品だった。


小学生の頃の私は絵ばかり描いていた。
なにともなく自由帳は教科書の挿絵の模写やキャラクターの絵ばかりだった。理由は単純で、担任の先生に見せたら花丸を描いてシールを貼ってくれたからだ。何冊も描いたと思う。
中学の頃だって絵は描いていた。でも美術部には入らなかったし、美術が学べる高校は目指さなかった。県の美術展に選ばれて誇らしかったのは、教わっていないというハンデを以てしてのものだった。本気で描けばセンスはある、と思うだけ思っていた。

幼馴染にも絵が上手い子はいた。私の好みとは全然違う絵柄だったが、確かに筆は早いし、ボールペンで描いても絵具で描いてもコピックで描いても自分のものにしていた。中学の時点で1000人以上のTwitterフォロワーがいて、中には「先生」なんて呼ぶフォロワーもいた。私はずっと嫉妬していた。私にないカリスマ性だとか主導力だとか、真面目の枠にはまらない才が羨ましかった。普通科の高校に進んだ後どうしているかは分からない。

中学でとにかく絵が上手いともてはやされていた子もいた。美術部員の中でも特にハイレベルだと皆が言ったし、当然のように美術系のコースがある高校に行った。その子のことも、薄っすら嫉妬していた。多分、何が好きなのかすら定まらない自分と違って、いつだって好きなことが目の前にあって選ぶまでもなくその好きなことに愛されているから、羨ましかったのだと思う。それでもその子にもきっとブランクがあったり、自分より上手い人の絵を見て打ちひしがれたりしただろう。今どうしているかは知らない。

私にとって絵は、私が愛すかどうか、それ次第の存在であった。
私が絵を見放したときはいつでも私から価値を奪った。それは同時に、他人と比較して落ちぶれた自分自身を見放していた。私が夢中で描いたときは描ける人間としての価値を生んだ。それは同時に、誰とも比較せず自分の絵を描き上げられる自分自身を認めていた。
何を原動力としていたとしても、絵が人から逃げることはない。

そんなことを思い出し、考えてしまった。

後半は京アニ事件を思い出すような展開で胸が痛んだが、美大に行くほど芸術に特別な感情をもつ方たちの迷いのない精神性を私はずっと尊敬している。この映画に関してだって、素晴らしい作品がまた世に出たのだという敬意をもたざるを得ない。そしてそんな方たちの前途が良いものであってほしいと願っている。

エンドロールでアニメーターさんたちが先に流れてくるのも愛を感じた。
こうして日々たくさんの人の情熱と人生が世に知れ渡っていくことは当然のようで稀有だと思う。

自分も、好きなことを素直に続けていたい。

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