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学校現場を中から見てみる

現場の視点

 校長を退職して3年。2年間は甲府市内の小中学校を年間8回ほど巡回してICT授業の支援・アドバイスをしてきました。現場の先生たちのホンネをたくさん見てきました。「コンピュータばっかりやっていられない」という心からの叫びについて共感してあげているでしょうか。先生が学ぼうとしないとか、苦手だからと言って避けているとか、先生を責めてばかりでいいのでしょうか。
 校長のときに感じたことがあります。様々な社会問題の対策として、「教育が必要」として各省庁が各部局で対応した対策を〇〇教育として学校に通達します。パンフレットを配れとか、こんな教育をしろとか、予算も人も学校によこさずに事業を指示する行政命令がシャワーのように降り注いでくるのです。仕事を依頼するなら、予算をつけるのが普通でしょ。
 無料奉仕の仕事は「やったふり」対応になってしまうのはとうぜんでしょう。「教員は、わかったフリ、やったフリをする」と評論する人にため息がでます。

やる気スイッチ

「こんなブラックにだれかした」かは、さておき、先生のやる気スイッチが入るときとは、どんなときでしょうか。

ほぼ自己評価ではなく、他者評価で心が動きます。
教えている子どもが、できたって喜んだとき
保護者が感謝を伝えたくれたとき
同僚が評価してくれたとき
風評・噂は、大きく心を揺さぶります

内向的な職業観

ドライに表現するならば、
超過勤務して作り出した時間を使って対応したことが評価されることに喜びを感じることが多いのです。悲劇的ではありませんか。
コレが超過勤務の常態化を引き起こします。
そうすると無料奉仕していることを誇らしげに思うようになり、家族のために早く帰る主婦の先生をディスります。そんなことから、管理職の女性比率が低くなるのではないかと思います。教頭は、職員が退勤するまでいるのが当然だという風潮が昭和時代にありました。何人も女性の能力のある方に教頭試験を進めましたが辞退される方が多かったです。こんな働き方にだれがした??

定型業務ではないのが教育業務

定型処理系業務ではなく、多要素例外処理系の業務体質
毎日が新しいことでいっぱなので、行政職やピラミッド組織型の個別業務分担の働き方ではだめです。
定型業務のようなドリルコースウェアがPC黎明時代に発売されましたが、売れなかった理由はこれです。今のものはこの例外処理系に対応できる仕組みがあるからです。

私は、職業観・勤労観を学び直すためには、多くのロックされた鍵を開けていかなければならないと思っています。名付けて
「ハードロック・スクール を救え」
こんな話題提供から始めました。よろしくお願いしますね。



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