知床旅ーヒグマの住む地をハイキング
これまで飾りのキーホルダーにしか過ぎなかった「熊スズ」を必死に鳴らしながら歩く。深い藪の向こうを確認しようと目を配ると同時に、ヒグマと目が合ってしまったらどうしよう、という恐怖を感じて目をそらしてしまう。自然との間に安全な境界線がなくなった時、人はこう感じるのかと知った。生態系ピラミッドだと、ここにいる私の存在はおそらくヒグマの下に位置する。
家で5才の息子と「危険生物図鑑」を見ながら、「載ってないけど一番危険なのは人間やな」なんて話をしていたけれど、生身の人間のか弱さを突き付けられる。傲慢な考えをしてごめんなさい。
私ができることは、知床五胡フィールドハウスでレクチャーしてもらったとおりの行動、声を出す、熊スズを鳴らす、などを忠実に行うことのみ。
8月はヒグマ活動期の後のシーズンだということだけれど、ヒグマ出没カレンダーには頻繁に印が付けられていた。
知床五胡の大ループを歩きながら、見たこともない大きなキノコや湖の美しさも目に映しながらも、ずっと心の中を占めていたのは「ヒグマ来たらどうしよう」の感情。
安全地帯の高架木道に辿り着いた時の安堵感たるや。
その気持ちは息子も同じだったようで、知床旅の中でも「ヒグマこわいなぁと思いながらも、リーダーとして先頭を歩いた!」ことが一番の思い出だそう。
世界も日本もたくさん旅をしてきたけれど、初めての感覚を得た約3キロの知床五湖大ループ散策。
アラスカもヒマラヤもアンデスも北アルプスも行ったけれど、ここまで自分のテリトリーに自然が入ってくることはなかった。自分も自然の一部であること実感すると同時に、慣れていない私なんかは自然の中では赤ちゃんぐらいに無力だと痛感する。己の世界観が広がり、それがなんだか嬉しかった。実感を伴う気づきは、きっと心に刻まれて忘れない。
知床では何度も「知らなかった、知ってよかった」世界に遭遇した。
「自己責任で」
という言葉は知床では聞かなかったように思う。
自ら希望して、ヒグマの生息地を徒歩で散策する。何かあってもそれは自己責任ですよ、と言ってもなんら問題はなさそうなのに
そうではなく「出会わないことが大切です。そのためにどうすべきか」をあらゆるところで学ぶ機会があった。丁寧に何度も説明してくれていた。
なんとなく、それが知床という地の、人々の思いなんじゃないかと感じている。「自己責任」というある意味当然なのだけれど、冷たく突き放す言葉を使わない。
ヒグマも含めた自然の在り方が知床であって、その自然を感じてほしい。気を付けることはあるけれど、ちゃんと守れば大丈夫。
知床は世界有数のヒグマの高密度生息域であるにも関わらず、ヒグマが人を襲う大きな事故はほとんど起きていないという驚きの事実が何よりもの証拠。その事実を作るために、どれほどの人がヒグマとの共存に関する工夫や施策をしているかと想像するだけで頭が下がる。
ー世界自然遺産・知床国立公園 知床五胡
私にとって、生身の自分に還ることができ、心が揺さぶられ、大切なものを取り戻すことができた場所。
京都に帰宅してすぐ、夫が「知床五胡行った翌日、二湖でヒグマ泳いでるところ目撃されたらしいよ」との情報をくれた。
ちょっと見てみたい、けれど怖い。そしてやっぱり本当に近くにいたんだ。
これまでは非現実的だった情報が少し身近に感じられるのは、旅をしたからこそ。目を閉じて北海道の果てを思い浮かべられる今は、以前の自分より遥かに豊かだと思う。
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