「おまえに覚悟はあるのか?」
恐怖の正体
子どもが生まれたとき小さな命が腕の中にあって、底知れない恐怖を感じた。
あの頃、産む覚悟はできていたけれど育てる覚悟は全くできていなかった。
そもそも、そこまで考えていなかったというのが正直なところ。
あの底知れない恐怖はきっと「受け入れなくてはならない事実」を目の当たりにしたからなのだろう。
本や映画や日常のできごとを通して「おまえに覚悟はあるのか」と問われているように感じることがよくある。
「覚悟ってなんだろう?」
最近そんなことをよく考える。
なんとなく頭に思い浮かぶのは、覚悟をするということは、悪いできごとや受け入れがたいこともひっくるめて受け入れるということ。
「覚悟」とは、すごく怖いが一度決めてしまえば迷いがスッと消えてただ進むだけになる、そんな不思議なものでもある。
決めてしまうと、それまでの迷いはなんだったのだろうと拍子抜けしてしまうほど気が楽になる。
たぶん「覚悟」とは変化を受け入れることなんだと思う。
だから、変化が苦手な人には「覚悟すること」自体に恐怖を感じたりする場合もあるのかも。
逆に、同じことの繰り返しが苦手な人には「覚悟すること」で変化が起こせる、好ましいものでもあるとも言える。
実際は「覚悟」によって、さまざまな選択肢を切り捨てていけるため、重荷が減り身軽になれる。
反対に多くのものを持ち続けたい人には苦痛を生むものでもあるのかもしれない。
受け入れた恐怖は、受け入れた瞬間から恐怖ではなくなり、乗り越えていくためのみちしるべになる。
受け入れてないのにやってくる恐怖に対して、人は恐怖を増幅しやすいし、パニックになりやすいのかもしれない。
覚悟とは自分の足で歩くこと。
まずは自分の足を自覚し、動かせると知ること。
恐怖に感じたり苦手に思うときも赤ちゃんのようにハイハイから始めたらいいし、慣れて来たらつかまり立ちに挑戦してみるのもいいかもしれない。
そうやって転びながらもコツをつかみ、少しずつ歩く距離を増やせたらいいな、そんなことを思ったりした。