今日の山田君 ~思うこと~ 43
読んで思ったことを自分事として整理する
あまにがさんが例えに使う言葉にいつも驚かされている。
思わずほっこりしてしてしまうような、ほかの人が思いつかないようなそんな言葉が使われていておもしろい。
しかも、うまみがあるが癖のつよい食材(難しい内容)を食べやすい料理(分かりやすい内容)へと料理するのがうまいのだ♪
この記事を読んで考えたことを書いてみようと思う。
感情が強い人は、きっと大食いなのだ。それだけ必要なカロリーが多い。たくさん食べてこそ元気になる。たくさん出ていくから。新陳代謝が活発で、感情の流通量が多いタイプ。
たぶんわたしは感情に判断をゆだねてやるやらないを決めている。
プラスに動けばやるしマイナスに動けばやらない、わからないときはとりあえずやる…といったふうに。
今まで感情をカロリーやエネルギーとして考えたことがなかった。
誰かが誰かに向けたのプラスの感情と出くわして、わたしまで元気をもらうことがよくあった。
おもしろいのはプラスの感情でも食べすぎると、「しばらくいいいや」になることだ。
いくらが大好きだったころ北海道でいくら丼を食べて、大量のいくらをおなかに入れたら好きを通り越して苦手なものになったのを思い出す。
価値観が似ている人に会いに行って、話が盛り上がって大笑いして4時間があっという間に過ぎた。そのあと急に睡魔が襲ってきて起きていられなかった。一度会って満足してしまって、それっきり…そんなこともあった。
感情が強い人は、感情のサイクルを回せる人でもある。じぶんを喜ばせる達人は、人を喜ばせるのもうまい。しかも、人の喜びをじぶんの喜びに還元できる。こうなれば無限の循環だ。元手がなくならないように、弁当を用意して、元気にサイクルを走らせよう。
自分自身、自分のきげんをとるのがうまいと思っている。
最初からうまかったわけではなく、たくさんの失敗を繰り返しながら少しずつ身につけたものだと思う。
感情との付き合い方
あまにがさんのこの記事を読んでいて、自分のためにつかう感情と人のためにつかう感情があるなと気づいた。
気心知れた人や時間の流れが近い人といるとき、またひとりで自然のなかにいるときには感情は自分のためにつかっている。
そんなときには元気になるし疲れとは無縁だ。
人のためにつかう感情とは?
3人以上の人のなかにいるときには、感情を自分以外のためにつかっている気がする。
その場の雰囲気を和やかにするためや人との関係性をよりよくするためにつかっている。
それはついやってしまうことなのだだけれど、エネルギーを使ってやっているため長時間はきびしいし消耗もはげしい。
感情をオフしているときがある?
自分でも初めて気づいたのだが、感情のゆれを基準に判断しているとおもっていたけれどどうやら感情をオフにしているときもあるようだ。
それは多数(8人以上)の人がいる場で、それはたぶん感情を使うと追い付かない理解がさらに追い付かないため、感情をオフにすることで観察し理解することに集中させているのかもしれない。
反対にほんとうに居心地がいい人といるときには感情をほとんどつかわないかもしれない。
それはさざなみのような小さな感情なのだが、おなかいっぱいで苦しくなることもなく腹八分目のようなちょうどいいようなもう少し食べたいようなそんな気分にさせてくれる。
思いちがいと自己理解
書いていて感情の扱い方がうまくなったのではないことがわかった。
それは思いちがいだった。
どうやら感情の配管整備がへたくそなようだ。
適している傾斜を設計することが苦手だ。
一気に流れ過ぎたり、全く流れなかったりと極端である。
話の意図を汲み取ることも苦手でどうしても本筋とかけ離れたことを考えてしまう。
感情も勝手に盛り上がり、勝手にしぼむ。
けれど自分自身をどうしようもない奴とわかっていても憎めない。
「まったく!しかたがないなぁ~」と思わず笑ってしまう。
昔は自分のことがいやでたまらなかったのに、今はこんなふうに思えるようになっているのは健康的な生活ができているということなのかもしれない。