気になったこと
たまたま目に止まって、無性に気になってしまったことの連なり。
音のないカミナリ
このツイートを見て無音の雷のあった日のことを思い出した。
(子どもの声が入ってます笑)
2020.08.15 18:55
明治用水頭首工
2022年5月18日
今回トラブルが発生した「工業用水」は愛知県が事業として運営しているものです。愛知県水道事業課によりますと、県内131の事業所が利用していて、このうち、およそ8割が自動車関連などの大企業、残り2割程度が中小企業だということです。
この工業用水を利用するには愛知県の「承認」が必要で、1日当たり300トン以上の水を使うことが承認の目安となっています。
このため工業用水を契約しているのは大企業が大半で、水の使用量が比較的少ない中小企業は自治体が供給する「生活用水」や「工場用水」などを使うケースが多いということです。
またこの場所では西三河地域の7つの市の合わせておよそ4500ヘクタールの農地向けの農業用水も取水していて、愛知県によりますと、今回の漏水ですでに供給が完全に止まっているということです。この地域は稲作が盛んで、田植え前の水が必要な時期に供給が止まったということで、県などで対策を進めています。
運転を停止する火力発電所も
愛知県武豊町にある大阪ガスの「名古屋発電所」と「名古屋第二発電所」では給水ができないため、18日午後に運転を停止する予定だということです。いずれの発電所も石炭とバイオマスを燃料とする火力発電所で、中部電力の管内に電力を供給しています。経済産業省は2つの発電所は出力が大きくないことに加えて、電力の需要が多い時期ではないため、電力需給に影響はないとしています。
また、火力発電事業者JERAが運転する愛知県碧南市にある「碧南火力発電所」でも給水が止まっているということです。ただ、発電所で貯めているタンクの水を使うことで5日間程度は運転を続けられるため、今のところ発電に影響はないとしています。
皇族
100歳を超えた皇族は三笠宮さまだけ
長兄の寛仁親王は癌による闘病で、次兄の桂宮も持病とそれに伴う後遺症などにより身体が不自由だったため両者とも公務に制限がある状態だったが、高円宮のみ唯一健康であったため、若い男性皇族として盛んに公務の場に登場していた(ただし、亡くなったのは3人兄弟の中で最も早い)。
逸話
他人に高圧的な態度を取ることで有名な鈴木宗男(当時、自民党議員)が、国際交流基金へ電話をかけ「国会議員の鈴木だ」と名乗った際、応対した高円宮がひれ伏した態度を取らないことに激昂し、相手が高円宮とも知らずに「俺を知らないのか! 貴様、名前を名乗れ!」と喚き散らした。高円宮は冷静沈着に「高円宮憲仁親王と申します」と返答した。後日、電話の相手が本当に高円宮であったことを知った鈴木は謝罪したい旨を第三者を介して申し入れたが、高円宮は一切受け入れずに断っている[8]。
幼少時代は走るのが速いわけではなく、スポーツに対して苦手意識があった[9]。学習院初等科6年生の時に静岡県沼津市で実施された水泳合宿で2キロの長距離水泳で運動に自信がつき、[10]学習院中等科時代にテニスとサッカーなどのスポーツを開始した。学習院高等科時代に陸上ホッケーなどのスポーツをして、大学時代にスキー部に入部した。[11]
愛子さまの記者の質問を受けてのご自身の長所の話で「どこでも寝られる」というエピソードに親近感がわいた。
海でサーフボードに親子3人で座ろうと試みて落下した話など素直に育っていったことが伺えてほっこりした気持ちになった。
「国民と苦楽を共にする」
「皇室としてのお役目」
「研鑽を積むという意義」
という言葉が耳に残った。
管理されるとは?
このツイートの動画をみていて"患者"="管理されるのが当たり前の存在"なんだなと思った。
患者になるということは、自己管理から他者管理に移るということなのかもしれない。
それと共に"責任"がついてくるのだから当たり前な気もするが、最近は「管理はするけど責任はとらないよ」という裏技がふつうに存在することがわかってきたので複雑な心境でもある。
本人の意思でそれを行うならいいが、それが長期的なものに変わったり、家族の意思など本人以外の意思が尊重され本人の意思が軽視されることにもつながらないか…と思ったりする。
強固すぎる"管理社会"は人間味を失わせるし、管理する側の善は静かな暴力性を孕んでいるように感じる。
自分のことを自分で決めるのが好きな人は、管理される位置に自ら入っていかないこと、それと極力入らないように、すぐに出られるように気をつけておくことが必要かもしれない。
管理社会が進んでいくと人間も家畜動物と同じ状態になるような気がする。
わたしが知る世界では、昔は一頭だけではあるが雄もいて、自然な形での妊娠があった。
今は、種を買ってつけたり、受精卵移植をするのが当たり前になっている。
規模が大きくなると目が行き届きにくくなるため足に歩数計をつける。
発情期は歩数が増えるからだ。
耳についたタグには個のデータが紐づけされた番号が。
その番号から生まれた日や母親、移動履歴が登録されている。
エサも管理者の適した状態になるように調整されたものが与えられるけれど、それはその生き物としてのより良い状態とは異なることも。
健康や身体に不具合がある場合や、気性が荒く他の生き物の怪我を誘発させそうな場合は、死がすぐそばまでやってくる。
個をデータ管理していると、人によってはデータしか目に入らず個の存在を観察することをしなくなる。
パソコン画面だけを見てデータだけを見て患者をみない医師と同じ。
生命はエネルギー体なのだから何かを発していて感じ取れることがあるはず。
データ依存になることで、生き物としての主要な部分に蓋をしめてしまっているような気がする。
管理者に自らなろうとする者は男性性が強く権威主義的であり、
選ばれた者として定めを全うしようとする者は、女性性が強く、受容的でありながらも芯の強さがあるように見える。
権威になびかず欲に溺れないまっすぐな姿勢に脅威をおぼえるから排除しようとするのだろうか。
完全なる悪、完全なる善、どちらに振りすぎても短命になりやすいが、どちらも内なる声に従い邁進したともいえる。
行為と好意と状況
この例えがおもしろかったし、これと同じようなことはいろんなところで起きてそうだと思った。
これはその時の自分の状況次第で、相手の行為を善意悪意どちらにもとりかねないと考えてみると、自分の相手に対して感じる印象はとても曖昧なものだし、そこに明確な理由はない。
そのときの自分が食べる物に困っているのか、困っていないのかの違いが相手への印象につながっているのだろう。
そう思うと、受けた行為に対する相手への印象は、幻想みたいなものなのかもしれない。
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