官足法の施術の記録と取り組み②
はじめに
官足法と出会えてから自分の認識がどんどん書き換わっていっている。
「風邪」という言葉に対してのイメージもガラッと変わった。
それまでは「風邪とは人からうつるもの」だと思っていた。
とはいえ健康であれば同じ場にいてもかからないし、身体が弱っていればかかるものいう認識だった。
それは長男が「おたふく」になったときに、一緒に次男にもうつして済ませてしまおうとした経験に基づいている。
兄弟同じ部屋、ごく近い距離で過ごし、あえて同じスプーンを使ったりしたのだが、次男は元気なままでかかることはなかった。
「なぜかからないのだろう?」
「感染力が高い病気のはずがこの子はなぜかからないのだろう?」
そのときは不思議で不思議で仕方がなかった。
少し前には気になることを調べれば調べるほど「風邪」といものがよくわからなくなってしまっていた。
今の自分の解釈では
「風邪がうつることで病気になるのではなく、その個体差の弱い部分、腸であったり、神経であったりが疲労やストレスなどで身体のシステムが滞り、それによって"風邪といわれる症状" が出ているにすぎない」
そんなふうに思っている。
おもしろいのは意識するだけでも病にかかったりすること。
「お腹痛くなるかも…」と不安になればなるほど本当にお腹が痛くなってくるように、
どうやら「◯◯病が流行るよ」と宣伝を繰り返し見聞きし、弱気になるとかかってしまったりするようだ。
不安以外にも「心置きなく休みたい」という願望がもとになることも。
病は気から。
自分の中に軸ができればあちらこちらにある脅かしや誘惑にも揺らがなくなるのだと思う。
「言うこと聞かない悪い子は夜中迎えに来るんだよ」
子どもの頃、ゲゲゲの鬼太郎が好きだったのだけれど、この歌の中のフレーズは自分の中に刷り込まれていて怖い言葉でもある。
コントロールするための脅しの言葉は気づかないだけで至るところにあるんだと思う。
そしてさまざまなものによって"敵視"するように印象づけられてはいるけれど、基本的に敵ではないのだろう。
誰かにとって扱いやすくするためや利益を生みやすくするために可視化されているだけであって、病気だって身体が正常化させるための神秘的なシステムの一部。
それを敵視し自分のなかのシステムを自分の意思によって不具合を生じさせている状態は不自然で違和感をおぼえる。
ただそれは今はそういう考えに至っただけで、以前は病を追い出そうとしていたし、好ましいものではなかった。
官足法を知れば知るほど「病ってなんだろうな」と拍子抜けしてしまう。
長年鼻が悪く、匂いも味もわからなかった義父が官足法の施術を週1で受けて朝晩自宅で足もみマットに乗っているうちに、あるとき鼻水が止まらなくなり溜まっていたであろうきみどり色の膿まで出て、それからスッキリと良くなってしまった。
正月明けの鏡もちみたいなかかとだった義母も通ううちに足の皮がすべて剥け代わり、かかとが割れなくなったそう。
術後癒着し痛みがあった内臓も施術を受けているとミシミシと剥がれる感覚があるみたい。
ほとんどなかった小指の爪も10ヶ月たった今では10倍くらいの大きさになってきたようだ。
そんな義母は半分ほどの大きさしかないサンドイッチマンの伊達さんの親指の爪をテレビでみたようで、「滞って圧迫してるんだろうね」と言っていた。
官足法を体験するとものごとの見え方が変わってきておもしろい。
糖尿病でも鳥目でもアトピーでも加齢臭さえも滞りと排出されないものが残っていることで、それぞれの弱い部分に症状として出てくるに過ぎないのだと実感できてくる。
実は熱さえも敵ではない。
熱を故意に下げてしまうのはもったいない。
官足法の担当の方が「熱によって身体の悪かったところが一緒に治っちゃった」と本人の体験を話していた。
排出されるべきものが排出され滞りが解消していれば、野口晴哉さんの本にあるように「風邪は経過するもの」なのかもしれない。
始まりから長くなりましたが、以下私の個人的な記録(備忘録)となります。
9ヶ月前の足と現在の足の様子
9ヶ月前は、横には指が広げられるようになってきた頃。
小指はねじれがひどく薬指の下に入り込んでいる状態。
指の関節の曲がりが悪く、小指はほぼ曲がらない状態。
小指のねじれがとれてきて、どの指も関節で曲げられるようになってきた。
中3本の指はまだ独立して動かすことができない状態。(自分では"えのき茸"と呼んでいます )
かかとの動きは出やすくなったけれど、指の付け根あたりがまだまだゴリゴリ、ジャリジャリと音がするのでつまりが根深そう。
魚の目はまだあるものの削らなくても痛みを感じにくくなってきた。
足の裏にクッション性が出て動きも出てきたからなのか?
動画で見てみたら親指もねじれがけっこうあるのかもと思った。
爪の付け根と第一関節の部分に腫れがあってまだまだ痛いので、今後に期待。
はじめての官足法の施術のときに「私の小指は曲がらない一体化した指なんだと思っていました」と話すと、「そんなわけないじゃん」と一喝。
「ゴミが溜まってるだけ」との返事。
まだまだ腫れとグリグリと動く部分があって痛みが強いからまだしばらくかかりそう。
担当している方は、情報として伝えはするけれど何も強制はしない。
死生観が似ていて、「腎臓が機能しなくなったら、毒が出せなくなって死ぬだけだからね」とあっさりとしている。
施術中もいろんな話をして、まるでマラソンの伴走者みたいだなと感じている。
考え方の癖に気づかせてもらえるし、自分の触れられたくない内側の部分も見えてくる。
「官足法は自分でできているから、チネイザンやってみても効果出ていいかもね」
3回目の施術のときにチネイザンの話をきいた。
内面と向き合うのは一人では無理だと言っていた。
どうしてもつらい部分からは触れないようにしちゃうし、逃げちゃうからだそう。
自分でも施術を重ねるたびにどうも外側の影響よりも内側からの影響が強く出ている気がしていた。
「その部分触れるのこわいんだよなぁ」
と私がぼそっと口に出すと、
「あとは決めれるかどうかだね」
と言われた。
こんなにしっかり向き合ってくれる人はそうそういないので次回、チネイザンを受けてみることにした。
帰りがけに「私はもっと…ほんとは暗いかもしれない」と言ったら、「ほんとは暗いのよ。それでいいのよ。」と言われて笑ってしまった。
「と思ってる」という言葉も「思おうとしてるってことでしょ」と言われた。
気づけば「でもこのキャラ使いやすくて便利なんですよね」なんて言葉までこぼれてた 笑
取り繕うのも隠すのもめんどくさくなって、来年は暗くて毒舌な部分もぼろぼろと出てくるかもしれません。
チネイザン
今年一番の収穫は、伴走者と出会えたこと。
"こわいこと"を一緒に見てくれる人とその機会を得られたことだな。
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