あの頃はまだ浸透していなかったハロウィンの日。もう一つの事件が起きる。或いは『フワつく身体』第二十三回。
※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第二十三回です。(できるだけ毎日更新の予定)
初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」
前回分はこちら:なぜ女子高生を買うのか?それぞれの理由の中に見える様々な偏見や歪み。或いは『フワつく身体』第二十二回。
『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?
番外編:花は軌道に消える
八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。
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■二〇一七年(平成二十九年) 十月三十一日
夜十一時四十五分。
スクランブル交差点を群衆がうねりながら通過して行く。
交差点の群衆は、マントをつけたり、派手なメイクをしたり、色とりどりのウィッグや帽子をかぶったり、アニメキャラになりきっていたりする。
スクランブル交差点には大型ビジョンが四つある。その映像の動きに合わせて、群衆を照らす光の色が変わった。
ハロウィンが日本に定着してどのぐらいだろうか。
確か、あの頃はまだそんなに、ハロウィンは浸透していなかったはずだ。
海外の映画やドラマ、英語の授業で見聞きしたことはあったし、秋になるとハロウィンに便乗する商品も少しずつ出始めていた。でも、海外にはそういうイベントがあるらしい、という程度で、基本的にこの国には関わりのないものと捉えられていたように思う。
ハロウィンに渋谷に人が集まるようになったのは二〇〇〇年を過ぎた頃からだ。今年も仮装をした人の群れが渋谷の街を埋め尽くしていた。
本来は非番のはずの環も、応援として警備に駆り出されていた。
環の持ち場は、ハチ公前の改札付近。通常の警らから外れている改札の外に立っていた。
改札のすぐ内側には赤城の姿がある。
眠い。
ハロウィンで人が押し寄せる渋谷駅はこの週末トラブル続きだった。分駐所に詰めていた環は、駅構内での喧嘩に泥酔、痴漢とひっきりなしに対応に追われた。
その上、本来ならしっかり休んで置くべきだったその前の非番や休みの日も、加奈の行方を追うことに取り憑かれて、勝手に動いていたので、疲れが溜まっているようだ。いい加減、布団に入って好きなだけ眠りたい。
視線の先にはテレビクルーがいたが、ディレクターとハンディを持ったカメラマンの二人だけだった。ずいぶん規模が小さい。
例年、渋谷のハロウィンの様子をマスコミが中継に来るが、今年は非常に少ない。
今日明日のテレビで、渋谷のハロウィンの様子を映す時間はあまりないだろう。
神奈川県下で大事件があった。
ワンルームの部屋のクーラーボックスやコンテナの中から、昨日複数人の遺体が発見され、その部屋を借りていた男が今日になって逮捕された。
現時点では複数人としかマスコミには公表されていないが、九人が正確な数だと言う。
八王子に住む被害者のうちの一人の兄と彼から相談を受けた警視庁の捜査員が遺体を発見したことから、捜査本部は八王子の高尾署に置かれ、警視庁の管轄になっていた。
恐らく、捜一の羽黒は昨日から大忙しだろう。だが、鉄道警察隊の巡査長に過ぎない環には関係のない話だった。
「相変わらず、隣の神奈川県警は無能だな」とは、事件を知った小隊長の瀧山の弁だったが、環もそう思う。
あのイケメンも、無能な県警と警視庁の捜査員をまとめるので苦労してそうだ。知らないけど。
環はコスプレをしながら渋谷を通り過ぎて行く雑踏にしっかりと目をやりながら、思考はまた踏切事故に、立花加奈に囚われて行く。
あれから五課も追っているが、江崎の証言には曖昧なところが多過ぎて、今年の八月二十一日に彼が何をしに渋谷にやってきたのかは分からないと聞いた。
巻紙と連絡をとっていた電話回線の譲渡先については、サイバー対策室に依頼してあるらしいが、神奈川の事件は殺害された被害者の女性をネットで募っていたようなので、しばらくそちらにかかりきりになってしまうだろう。
巻紙と同じように、皆既日蝕の日に踏切事故が起きていることについて、環は五課には言わなかった。言えばコソコソと嗅ぎ回っている捜査違反がバレてしまうし、そもそも、事実関係は羽黒が言ったようにオカルトめいた話でしかない。
踏切事故で死んだ者のうち、話を聞いたのは、松田正太郎と早瀬健、服部高広の遺族の三人だ。
最初の若い二人、城ヶ崎満と成田芳樹は時間も経っているし、職業不詳のため、その遺族を探すのは難しそうなので除外するとして、残りは田端文蔵と新井勤、高木将男の三人。
新井勤については、事故当時、既に妻とは離婚しており、両親は存命ではない。息子が一人いるが、早いうちにアメリカに出ている。兄弟は妹がいるが、沖縄にいると言う。
踏切で死んだ時は、孤独だったのだろう。アメリカや沖縄にいる縁者に話を聞いても何かが分かるとは思えなかった。
田端文蔵は踏切事故の死者が社会的地位のある者に移って、初めての犠牲者である。
田端文蔵は、近々の巻紙亮二と同じく有名人で、十一年前に死んでいるにも関わらず、Wikipediaにも項目がある。曰く、戦後の不動産王であったと。
遺族を嗅ぎ回るより先に、彼を知っているかもしれないと、先日及川が帰ってまもなく、に渋谷署詰めの新聞記者に話を聞きに行った。始めに聞いた若い記者は知らないと言ったが、それを聞いていた、四十代半ばと思われる記者が、
「え、ちょっとなんで鉄警隊が、田端文蔵について知りたい訳?」
と入って来た。
「ちょっと、十二年前の鉄道事故がね、まあちょっと、言えないけど」
「やめとけ、やめとけ。何を知りたいんだか知らないけど、ヒラの女警官が聞きたがっていいような存在じゃない」
環はムッとしたが、中年記者は続けた。
「田端について知りたいなら、俺たちよりも……」
とそこで言葉を飲み込んで、
「いや、本当に知らない方がいい」
恐らく、俺たちよりも、の後に続くはずだったのは、四課、つまりマル暴辺りだろう。
「分かった。まあ、今日のところはこの辺で引き下がっておく」
やはり、そのような気はしていた。もしかしたら、最初の若い二人も暴力団絡みの人物だったのかもしれない。
「大体、田端が自殺したことについて、何か不審な点とかってないだろ」
中年記者が環に逆に質問してきた。
松田や服部と違って、田端には明らかに自殺の動機と思われるものがあった。恐らく、彼を知る全員が、自殺について不自然には思わなかっただろう。
田端は元々戦災孤児だった。闇市から立ち上がり、最初は自転車屋を創業し、軌道に乗り始めたところで、不動産事業にも拡大。高度経済成長に乗って急成長を図る。バブル期には海外の土地まで買収して話題になったと言う。
かつては地上げや総会屋など、企業と暴力団の距離は近かった。事業拡大の陰に暴力団との密接な繋がりがあってもおかしくない。
だが、バブル崩壊を期に事業は低迷。幾多の不良債権を抱え、立ち行かなくなる。
そして、二〇〇五年にいわゆるハゲタカファンドと呼ばれた外資に二束三文で買収された。
自殺はその翌年である。誰もが自殺の原因を、彼が人生を賭けた事業の失敗に見たのは間違いない。
「まあ、田端文蔵は戦後の象徴みたいなもんだ。良くも悪くもな」
そう言って、新聞記者は話を締めくくった。
とりあえず、次はまず、高木将男か。
そう思って、環は時計を見た。日付が変わっていた。
だが、人の流れが引く気配はない。
無線には矢継ぎ早に、渋谷周辺で起きているトラブルの報告が入っている。足元を見るとハンバーガーの包み紙や紙コップなどのゴミが散乱している。
「この人触りました」
群衆の中から、コスプレ姿の女性が男性の手を掴んで、環の前に現れた。
女性の方は薄紫のウィッグを被り、胸元の大きく開いた青いレオタードのようなものを身につけている。ウエスト部分が赤い別布になっていて、着物のようにも見える。
「だからわざとじゃねえって言ってるだろ」
「オッケー、とりあえず事情聞こうか」
と環は答えると、群衆に向けて、
「目撃者の方っていらっしゃいますー?」
と言ったが、誰も答えずに通り過ぎて行ってしまった。これは証拠が難しいかもしれない。
環は無線で、駅前交番に連絡をとる。
『現在、中は喧嘩の仲裁と、泥酔者でいっぱいです』
『了解』
「悪いけど、ちょっとついてきて」
少し離れているが、分駐所に向かう。改札の中にいた赤城も合流した。渋谷駅の構内も終電が近いと言うのに、人でごった返していた。
分駐所の扉を開けると、葉月と瀧山が、泥酔した男の介抱をしていた。傷口のついたかつらが近くに落ちていた。フランケンシュタインのコスプレをしていたのだろう。
「そっちはなんだ」
瀧山が環の姿を見て言う。
「痴漢」
「おう、任せた」
コスプレ姿の被害者の女性を椅子に座らせると、仮眠室から毛布をとって、女性に投げた。
「ちょっと、うちの小隊長の加齢臭ついてるけど」
「おい、こら深川」
容疑者のシルクハットの男は、赤城に付き添われて奥に座らされた。
女性は毛布をじっと見ている。
なんだったかな、このコスプレ。確か、うちの兄貴が大分課金したらしいソシャゲのキャラクターじゃなかったかな、と思うけれど、環は正解が見つからない。
「とりあえず、明日、いやもう今日から十一月だし、長い時間冷やすと、後で色々来るから。それから、そこのむっつりが、さっきからチラチラ胸元見てるし」
と言って赤城を指さした。
「なんで僕を巻き込むんです!」
と言った赤城を環は無視した。
被害者の女性が言うには、往来の中で、シルクハットの男にすれ違った際に、明らかに胸を揉まれたということだった。
「お巡りさん、私がこんな格好してるからとか言わないんですね」
「公然わいせつの定義は曖昧なんだけどね。まあそんぐらいしっかり布で隠れてれば、大丈夫。後は触った奴が悪い」
環はそう返した。そう、女が女をセカンドレイプしては意味がない。まあ、他の警察官に当たれば、彼女のような格好はセカンドレイプの嵐に合うだろうな、と環は思う。
本当に警察組織なんてクソだ。
「でもね、あんまり冷やすと後で来るからね。腰とか肩とかお腹とか」
どうも付け足した言葉に、環は自分で歳を感じた。
泥酔したフランケンシュタインの介抱を瀧山に任せると、葉月が女性につく。
環は赤城と一緒に、男性の方の取調べに回った。
「へー、大学四年生。就職は内定でてんの?」
男は黙って頷いた。
「それはそれは。売り手市場でいらっしゃる。でもヤバいよねー、これで取り消しになっちゃうかもね」
「だからわざとじゃないって、さっきから言ってるじゃないですか!」
「被害者は明らかに故意に触ったって言ってるけど?」
「あれだけ人がいれば、ぶつかることだってありますよ! 大体、あんな露出してる方が悪いんじゃんか、つい触っちゃうことだってありますよ」
「へー、例えばあんたは、混んでいる美術館に行ったとして、何千万もする名画をつい触っちゃったりする訳? ああこれは触っちゃいけないもんだ、触ったら大変なもんだって思ったら触れないようにするよね。普通」
男は何も言い返さなかった。
それでも結局、男は故意ではない、と主張して折れることはなかった。
渋谷署に連絡すると、今日はもういっぱいで受け入れられないと言う。
「とりあえず、名前と連絡先は分かったから、渋谷署から連絡が来たらすみやかに出頭して」
そう言って男を帰すしかなかった。
悔しいが、初犯であれば、証拠不十分で見送りになるだろうな、と環は思った。
そうして環はまた、先程の持ち場に戻った。時間は午前三時を回っていた。
足元のゴミが増え、酒の空き瓶が割れたものも含まれている。そのガラスの破片を近くの飲食店の店員が片付けていた。環は手伝おうかと思ったが、往来から目を離さない方がいいだろうと判断してやめた。
終電は出払っても、渋谷の街にはまだ人が残っていた。高揚した若者たちが、千鳥足で叫びながら通り過ぎる。
朝、四時半。無線に、円山町のラブホテルの駐車場で、女性の絞殺隊が見つかったという情報が入った。
渋谷署の人間が何人かそちらの警備に向かうため抜けたが、環には関係なかった。
無線で犯人が街の中に潜伏している可能性があるので、怪しい人物を見かけたら、報告するようにと呼びかけられた。だが、刺殺体ならば大量の返り血を浴びているだろうが、絞殺ならばどう怪しいと見極めればいいのか。争った形跡をハロウィンのメイクとして見落とすこともありそうだ。
始発が動き始め、ようやく人が引いてくる。足元のゴミだけが残されていた。
風が吹いた。コンビニのレジ袋が舞い上がった。白み始めた街の中で、人魂のように、幽霊のように、その袋は渋谷の街を彷徨った。
午前五時二十五分。
環は予定通り、警備を終えて分駐所に戻った。
いい加減寝たい。
環はロッカーに行き、欠伸をしながら、私服に着替える。
すると、私物のスマホにLINEの着信があった。
環はメッセージを確認しようとして、目を剥く。
アカウント名、タチバナカナ。
環の耳を胸の動悸が支配して行く。
震える指で、通知をタップする。
「さあ、ゲームは終わらない。
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは透明。だから、諸君らには見えない
汚い野菜共を聖餐にして、ボクは生きる。生き続ける」
なんだこれは?
だが、環はもう一度アカウントを良く見る。巻紙のスマホにあったと言う@hine19800815ではなかった。
良く見ると、このアカウントは新川梢子のものだった。
梢子のアカウントを使って、アカウント名が変えられているようだ。
どうして?
分駐所のスピーカーに無線が入った。
「円山町で殺害された被害者の身元が判明。ニイカワショウコ、三十七歳
本文:ここまで
続きはこちら:第二十四回。
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読者の皆様へ:
※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。
※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。
※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。