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病身の美頼から告げられる言葉「カナは生きている」……そして、徐々に浮上する二十年前との繋がり。或いは『フワつく身体』第三回

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第三回です。(できるだけ毎日更新の予定)

フワつく身体ってどんな作品という方はこちらをご覧下さい→プロフィール記事

第一回はこちら「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

第二回はこちら「20年後に現れた一つの社会学者の轢死体。警察官になった同級生の前に、謎の片鱗が姿を見せ始める」

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年) 八月二十三日

 世良田美頼は国立との境にある総合病院に入院していた。

 翌日、環は休日だったので、言われた通りに見舞いに行ってみることにした。長くないということは、次を待っていると機会はないかもしれない、そう思った。

 病室に入ると、やつれた美頼の母が環を出迎えた。

「深川環です。母から聞いて」

「ああ、ありがとうございます」

 個室病棟の美頼はリクライニングベッドで四十五度ほど起こされた状態だった。

 痩せてはいるが、思ったほどガリガリではなかった。

「美頼、お友達が来てくれたよ」

 無機質な病室の窓際には、黄花コスモスが活けられていた。黄色い、トパーズ色の花がエアコンの風に僅かにそよいでいる。

「久しぶり。うちの母親がさ、美頼のお母さんに会ったらしくてね。それで、顔を見に来た。覚えてる? 私のこと?」

 そう言いながら、環は丸椅子に腰掛けた。こんな出だしでいいのだろうか。

「だ、れ?」

「やだなあ。深川環。中三の時と高二の時同じクラスだった」

「あ、ああ。そうだ、お母さんから聞いた。こないだ、深川さんのお母さんに会ったって」

 美頼はそっけなかった。苦しいのかもしれない。

 見た目は、環と同い年とは思えないほどに老けて見えた。病が重篤なせいだろうか。それとも、長年の摂食障害のせいだろうか。

 美頼は環から目を反らしながら口を開いた。

「思ったほど、痩せてないでしょ」

「うん。そうだね 思ったよりも元気そう、かな」

 もちろん、確かにガリガリではなかったが、元気そうには見えなかった。

「浮腫なの。腎臓がダメになって、もうずっと透析受けてるから。でももう、あちこちボロボロで移植はできないだって」

「そう、なんだ」

 二十年ぶりに会った同級生には、確実に死が押し寄せて来ている。

 分からない。どう受け止めていいのか。

「でも、もっと早く死ぬと思ってたでしょ?」

「いや、そんな。元気になってくれると思ってたよ」

 いや、まだ元気になれるよ。そう言おうとして環は言葉を飲み込んだ。前向きでも非現実的な言葉はプレッシャーになるだけかもしれない。

「アタシは早く死にたかった。もっと早く死んでしまいたかった。それなのに、二十年も生きながらえて。アタシは不完全だから、カナと違って不完全だから、こんなに長くかかってしまった」

 環には、何を言っているのか分からなかった。

 具体性に欠ける観念な言葉が、本人の中では確固たる意味を持って、心を支配している。家出少女を保護した時や、窃盗癖のある人物を逮捕した時に似ている、と警察官らしいことだけが浮かんだ。

「本当、久しぶりだよね。高校に入ってからはあんまり話さなかったけどさ。ほら、中学の時はさ、修学旅行なんかも同じグループだったじゃん」

 環は話題を変えた。そういう観念的な言葉に付き添うよりも、明るい話題を引き出す方がいい、それも警察官としての経験だった。

 美頼の表情は硬いままだったが、環は続けた。

「修学旅行、京都とそれから、奈良行ったじゃん。私さ、なんかめっちゃ鹿に襲われてさ。美頼もそれ見て、ケラケラ笑ってたよね。それで、私、修学旅行のしおり全部食べられてさ、その後の行動表、全部美頼とかに見せてもらってたよね」

 それでも美頼の表情は硬いままだった。

 しまった、今の話題の選択は滑ったかもしれない。

 美頼が弱々しいながらも、不機嫌さを滲ませた口調で言った。

「ねえ、深川さん、何をしに来たの」

「え? 何ってお見舞いだけれど」

「深川さんって、今、お巡りさんなんだって?」

「そう、鉄道警察隊。毎日戦ってる。鹿じゃなくて、痴漢とかスリとかとね」

 少し茶化してみたが、美頼の不機嫌な表情は変わらない。何が美頼の気に障ったのか。

「自慢? 不完全なままただ二十年も生きながらえた私と違って、元気に公務員やってますって」

「え? そんなつもり全然ないよ。だいたい、私、出世してないし、結婚もしてないし」

 そこまで被害妄想が強いとは。弱ったな。

「それに、中学の話なんてしないで。中学の頃のデブでダサい自分が嫌だったから、高校に入ってからは、それを知ってる深川さんと話をしなかったの、分かってたでしょ?」

「うん、それは高校の時はなんとなく。でもさ、もう、二十年も前の話でしょう」

 そこまで言って、環は気がついた。

 一九九七年の年末、千葉県内で保護されてから、進学も、就職も、結婚もしなかった美頼にとって、二十年前で時間が止まったままなのだ。

「ごめん、本当気に障ったんなら、謝るよ。色々……」

 環は、そう言って話題を変えようとした。思い出がダメなら、今そこにあるものの話をする。環はベッドサイドのボードの上に置かれた、指輪が気になった。

 プラスチックか陶器でできているのだろうか。大ぶりな白い花に金のリングがついている。

「可愛いね、これ」

 環がそう言いながら、手を伸ばそうとした時、

「触んないで!」

 美頼の声が飛んだ。

「ご、ごめん」

「それは、カナからもらったもの。アタシにとってカナと過ごした時間だけが全て。中学までの時間も、カナがいなくなってしまってからの時間も全部余計なもの。醜いもの」

「そう、なんだ。やっぱり美頼にとって立花さんって特別なんだね。今でも」

「他人になんか分かる訳ない。カナと私のことは。もう、深川さんとは話したくない、帰ってくれる? お願いだから」

「……分かった。色々気に障っちゃったみたいでごめん。じゃあ、これで失礼するよ」

 美頼はずっと心身を病んでいたんだ。こんな態度をとられても仕方ない。

「……でも最後にいっこだけ聞いていい? 立花さんはどこに行ったの? 美頼は知っているの?」

 環は少しだけやり返したくなって、付け加えた。

 美頼は黙ったままだった。

「言えないか、そりゃそうだよね」

 環は丸椅子から立ち上がって踵を返した。

 その環の背に向かって、美頼は言った。

「カナは生きている。あの頃の日記を持っている人が全てを知ってる」

「え?」

 環は振り返った。

 だが、美頼は首を横に振って、それ以上のことは言わなかった。

 病室の外で、美頼の母親に

「わざわざ来てもらったのに申し訳ありません」

 と謝られた。

「いえ、美頼ちゃんも、これまで色々大変だったんでしょうし、気にしてませんから」


■二〇一七年(平成二十九年) 八月二十四日


「タマ姉、顔が暗いっすよ」

 分駐所に出勤すると、赤城にそう言われた。

「ちょっとね」

 と返すと、
「アレか、男か」

 と小隊長が口を挟んできた。

「だったらまだ良かったんですけどねえ。ていうか、小隊長、それセクハラ」

「そうか、すまんすまん」

 美頼のことが気になっている。向こうは二十年、全く社会経験がないまま、そして、今、死が差し迫っている。だから、怒ってはいけない。でも気持ちのやり場が見当たらない。

 顔を見るのが最後になるかもしれない、なんて単純な考えで行くべきではなかったのだろう。

 美頼はあのまま死ぬのか。彼女の人生とは何だったのか。環は気がつくと思考が囚われている。

「はい、先輩。カントリーマアムどうぞ」

 葉月がそう言って赤いパッケージを差し出した。定番のココア味。

「ありがとう。恩に着る。もやもやした日はカントリーマアムに限るね」

 そう言って、環は袋を開けて、「いただきます」と言ってから、もしゃもしゃと頬張った。

 仕方ない。菓子食ってやり過ごすか。警察官としての職務を怠ける訳にはいかないのだから。二十年をそれなりに生きてきた環は、そのぐらいには強くなっているはずだ。

 分駐所の引き戸が開いて、誰か入ってきた。

「すみませーん、駅の方の有人窓口いっぱいだったんで、遺失物、ここでもいいですか。このまま、改札出ないで山手線で原宿の方に移動したいんで」

 そう言ったのは、上にも横にも大きい巨漢の男だった。確か改札内に設置してあるコインロッカーの管理業者の男だったはずだ。

「いいですよ。遺失物として預かっておきます」

 口の中に残っていたカントリーマアムを急いで飲み込んでから、環が言った。

 遺失物は駅の窓口か渋谷の駅前交番へ、というのが基本だが、分駐所でも預かれない訳ではない。たらい回しにされた腹いせに、ネコババされる訳にはいかないのだから。

 遺失物は、印伝の札入れ。中身は一万円札が一枚。
 その他カードなどは入っていなかった。デザインから高齢女性のものだろう。

 何時に見つけたか、何番のロッカーにあったか、など手順通りに聞き取りをし、遺失物届を作成する。

 ほぼ書き終わった辺りで、ロッカー屋の男が口を開いた。

「ところで、これ」

 そう言って、持っていた鞄の中からビニール袋を取り出した。

「ピンクチラシです。開いているロッカーの扉の内側に貼り付けてありました。お巡りさん、職務怠慢なんじゃないすか。ちゃんとやってるんですか。渋谷駅の、見回り」

 と、巨漢のロッカー屋は嫌味たっぷりに言う。

「すみません、預かっておきます」


「クッソ、葉っぱとかも入ってんじゃん! ゴミは別にしておけよ、あの彦麻呂」

 ロッカー屋の男が立ち去って、環はビニール袋の中身を確認してそう吐き捨てた。

「彦麻呂て。確かにちょっと似てましたけど」

 ツッコミを入れたのは赤城である。

 ロッカー屋が差し出した袋の中には、同じデザインのピンクチラシが十枚ほど入っていた。

「即OK! 厳選美女をあなたの元へ!」という文字と恐らくフリー素材の女性の胸元と携帯番号。

出張などで上京してきて、渋谷駅のコインロッカーを使う男性をターゲットにしたものだろう。

「今時、ピンクチラシとか、違法風俗かもね。渋谷署の生活安全課に届けとけばいいとして、確かにあのロッカー屋が言うように、あそこ見張らないとダメかもね。後は、葉っぱ、丸めたティッシュ、メモ帳の切れ端って、本当ゴミじゃん!」

 メモ帳の切れ端と言っても、ビリビリに破かれたものの一片という訳ではなく、ミシン目に沿って破かれたもので、五ミリの桝目の罫線が入っている。恐らくシステム手帳から切り離されたものだろう。

「なんだこの不気味な絵」

 メモ帳には、赤のボールペンで異様な絵が描かれていた。

 三日月を背景に仏像の頭のようなものが浮かび、そこから細い手のようなものが幾つも伸びている。その下には、円の中にギザギザのマーク。

「あ、それ、バモイドオキ神じゃないですかね」

 赤城が言った。

「バモイド?」

「二十年前の、神戸の、連続児童殺傷事件と言うか、酒鬼薔薇聖斗のやつですよ」

「あー!」

「僕、酒鬼薔薇聖斗こと、犯人の少年と同い年だったんですよ。で、中学生って不謹慎でしょう。クラスでマークとか字とか真似するのが流行ったんで覚えているんですよ。懐かしいな」

「懐かしいて」

 そうだ。あの事件が起きたのも、立花加奈が失踪したのと同じ、一九九七年だった。

 震災、いや、東日本大震災が起きてしまった今となっては、きちんと阪神淡路大震災と言うべきだろう、の二年後の早春の神戸で、女児がハンマーやナイフで襲われる事件が連続して三件発生した。そのうちの二件目の女子は、ハンマーで殴られた脳挫傷で死亡した。

 続いて五月、小学校五年生の男児が殺され、その首が近くの中学校の校門の上に置かれるという事件が発生した。男児の首には犯人によって書かれた犯行声明文が咥えさせられていた。

 犯行声明文は赤いマジックと黒いマジックで書かれた部分があり、字体は角ばった独特のものであった。

 犯行声明を咥えた男児の首が中学校の校門前に置かれるというショッキングな事件は一斉にマスコミを賑わせ、ワイドショーは、あたかも推理小説でも読むように、犯人探しに躍起になった。

 さらに、翌月神戸新聞社に犯人から、次の犯行声明文が届く。同じように赤い角ばった書体で書かれていたが、今度は長文であった。

 そのため、いっそうマスコミ報道は加熱し、犯人は少なくとも二十代以上の大人であろうと推測されていた。だが、捕まったのは十四歳の中学二年の少年だった。

 その事実は当時の日本の社会に大きな衝撃を与えた。
 バモイドオキ神は少年が犯行に至る過程で生み出した彼だけの神だった。家宅捜索を受けて見つかった家の日記に見られる。

 現在から俯瞰して見れば、少年犯罪は戦後一貫して減り続けており、特異なことをする少年がたまたま現れた、そう見ることもできよう。

 しかし、阪神淡路大震災とオウム事件の衝撃覚めやらぬこの国は、さらなる追い打ちを読み取った。

 戦後の日本はこれで良かったのだろうか、と。 

「でも、ちょっと違う気がするなあ。片方が夜で片方が昼だったはずなんですけど、これは全部闇でしょう。それから、マークね。これは四枚羽の扇風機みたいな形だったはずで、これはギザギザが並行に並んでいるでしょう。これは牙の生えている口を縦にしたみたいな形ですよね」

「よっく覚えてんなー」

 少し呆れながら環は返した。

「リアル厨二だった僕を舐めないで下さい。ホントに、地下鉄サリン事件があって二年後にこの事件でしょう。リアル厨二としては、本当にノストラダムスの大予言が当たって、さらに二年後の一九九九年に世界が滅ぶんじゃないかと思ってましたから」

 すると、このやり取りをぽかんと見ていた葉月が入ってきた。

「この事件って有名ですし、その後の少年法の改正に繋がったって警察学校でも習いましたけど、まだ幼稚園前だったんで、覚えてないんですよね。ましてや、地下鉄サリン事件なんて物心もつく前で、そんなにすごかったんですか?」

「うわうわうわ、出たよ。何その、私若いんですアピール。そうですよ、伊達に歳食ってませんよ」

 環は口を尖らせる。

「タマ姉、見苦しい」

「そうですよ、そんな言い方するんなら、さっきあげたカントリーマアム返して下さい」

「えー、食べちゃったもん。食べちゃったカントリーマアムは返せないよ」

「なんだよ、お前らだってまだ中学生とか高校生だったろ。俺はもう警察官になってたかんな」

 と、瀧山が話に入ってきた。

「そうですよね」

 赤城が返すと、瀧山は続けた。

「神戸のやつは、もちろん兵庫県警だから、まあ俺らはあまり関わりなかったけどさ、地下鉄サリン事件な。オウムの信者って在家含めると、一万人ぐらいいたんだよな。で、もう怪しい奴は片っ端から職質しろみたいになってさ、で、オウムの信者って襟んとこがスタンドカラーになってる服着てたんだけどさ、そういう感じのシャツ着てる奴とか、長髪の奴とか片っ端から捕まえてて、それで、当時まだ新人だったのが、今、渋谷署で警部になってる山内だったんだけどさ」

「へえ、一昨日の円山町の人身で指揮とってましたよ」

 と赤城が相槌を打つと、瀧山は続けた。

「らしいな。で、あいつが、息まいちゃってさ、ハチ公前ですげえ高圧的に職質した相手が、俺の行きつけだった道玄坂にあるカレー屋のオヤジでさ、俺が気づいたおかげでそのオヤジは解放されたんだけど、オヤジはテロリストなんかと疑われて、若造に高圧的に出られたって言うんで、その後エラい剣幕でさ。警察なんか店に入れないって言うんで、俺、ずっとそのカレー屋出禁だったんだから。出禁解けたのは、一昨年そのオヤジさんが死んで、息子に代替わりしてからだよ」

「一昨年ってことは二十年出禁ですか」

「そうだよ。全く、山内の野郎。まあ、サラリーマンぽい格好してる奴以外はみんな怪しく見えたんだな。そのぐらい身近なところでテロが起きて、犯人がどこに紛れているか分からない恐怖があったってことなんだけど」

「ところで、思ってたんですけど、あの山内警部、俳優の西村雅彦に似てません?」

 環が大分話がズレたところに入ってきた。

「えー、生え際だけでしょう」

 赤城が返した。

 それを聞いていた葉月が、

「え? 誰ですか」
 と聞いてきた。

「分かんないかな。古畑任三郎で今泉君だった、って、お姉さんジェネレーションギャップで死にそう」

 と言ってうなだれた環の代わりに、瀧山が

「最近だと、真田丸で室賀やってた。ほら、隠し扉がドーンってなって、バーンってなって死んだ」

「小隊長、語彙力」

 環が顔を上げて言った。

「まだ寮だし、と言うかそれ以前からあんまりテレビ見ないんですよね。私だけじゃなく、周りもみんな」

「そうか、ごめん。若い子はあんまテレビ見ないんだったよね」

 なんで謝るのか分からないが、環はなんだかいたたまれなくなった

「あ、山内。あいつさ、あいつの話をすれば現れるっていう特殊能力があってさ」

「小隊長、鉄警隊なんかに用はないんじゃないですか」
 と赤城が返してすぐ、分駐所の扉が開いた。

 山内警部だった。

 すげえ、と皆驚きながら、敬礼をした。

「警部自らなんのご用でしょう」

 格下だが先輩の瀧山がやや茶化しながら言った。

「先日の巻紙教授の人身の件だが、彼の壊れたスマートフォンのデータが復元されて上がってきて、気になることがあってな、共有だ」

「あれは、自殺じゃなかったんですか」

 環が言った。

「諸君ら、先日は応援ありがとう。痴漢逮捕で表彰実績のある鬼の深川巡査長も、人身事故の前では、全く、へっぴり腰のポンコツであったと我々も驚いている」

 クソ。このハゲ、いらんことを。

「まあ、自殺であるということには変わりがない。だが、彼の直近の通信履歴の中に気になるものがあった。家族、大学の学生、職員、出演しているラジオのプロデューサー、とすぐに身元の判明する電話番号の中に、一つだけ不明なものがあった。契約者を調べてみると、先日並木橋の裏路地で逮捕された危険ドラッグの売人と同じものであることが分かった。携帯電話の契約者は金に困った元派遣社員の四十歳の男で、アパート追われて、センター街の漫画喫茶で寝起きしていたところ、名義貸しを持ちかけられ、複数の電話会社と契約したと言う。彼が契約した電話番号のうち、我々が把握していないものがまだあったということだ」

「つまり、危険ドラッグの売人と同じ契約者の番号が通話履歴にあった。もしかしたら、ドラッグでラリった状態で踏切に入った可能性があると」

 と環が言うと

「そういうことだ」

 山内は返した。

「解剖は?」

 瀧山が聞く。

「いや、それが、自殺だとしか思わなかったから、検死を終えたら遺族に返してしまった」

「ダメじゃないかよ」

 瀧山が返す。

「仕方ないだろ、六十近い男と危険ドラッグの関係などハナから頭になかった。荼毘に付される前に髪の毛ぐらい採取できればいいがな」

「つまり、他にもこの男が契約した回線が残っていて、危険ドラッグの売買が渋谷で行われる可能性がある。受け渡し場所は、路上や建物内ではなく、駅構内の可能性もある、だから我々も情報を共有しておけ、とそういう訳ですね」

 赤城が言った。

「そうだ。吸い上げた情報をプリントしたものを持ってきた。まあFAXで送るか、若いのに持って寄越させても良かったんだが、本庁に行くついで山手線に乗るからな。と言うか、なぜか鉄警隊の元に寄らなくてはいけない気がしてな」

 特殊能力だ。

 環たちは山内の持ってきたA4のプリントの束を覗き込む。

 通話履歴を印刷した中に、マーカーの引かれた部分がある。

 ページをめくると次は契約者情報。

 笹原昌樹

 住所は大田区西蒲田。

 次のページをめくる

「この番号が使っていたLINEアカウントだ。やり取りの中身までは分からなかったが、アカウント名だけは分かった」

 アカウント、@hine_19800815

 そして、視線を下に動かすと、環は目を疑った。息を呑む。動悸がした。

 アカウント名 タチバナカナ

 環の脳裏に美頼の声が蘇る。

……カナは生きている…… 

本文:ここまで     

続きはこちら:第四回

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。 

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