人間は考える葦である
俺はブルース・リーが嫌い。厳密に言うと傷跡を残していきやがったことが嫌い。
武道に体格差など関係ないという神話がある。牛若丸が弁慶を倒したように。
この体格差は関係ないという神話は基本的には正しいと思う。
剣を持って切り合えば、先に切った方が勝ちだし、弓で射るなら小柄な方が隠れやすいから。
これを徒手格闘にも当てはめようとするのが間違い。
絶対にでかい方が強い。そうでなければ相撲取りが体重を増やす理由はない。
技術で体力を補うことはできても、技術が体力を圧倒的に超越することはない。
小よく大を制すはロマンがあるし、実際に技術のある小男や女性が単純な大男を圧倒することがあるけれど、技術を持った大男には絶対勝てない。
小よく大を制すを映画で表現したのがブルース・リー。確かにロマンはある。
でもスクリーンと現実の区別がつかない人は今もって実に多い。
「柔よく剛を制す」という言葉は宣伝文句としてはいい響きだけれど、「剛よく柔を絶つ」という言葉と表裏一体の言葉であることもあまり知られていない。
ブルース・リーが大男を倒す。実際にブルース・リーはジークンドーの達人で決して弱いわけではない。
ブルースリ・ーに憧れる人は必ず言う。見せ掛けの筋肉じゃなく使える筋肉とかいう戯言を。
使えない筋肉など無い。そしてブルース・リーを目指す君はブルース・リーがどうやってあのボディを作り上げたのか知っているのかを聞くと知っていない。ただ漠然と引き締まった筋肉という程度の認識。
ブルース・リーはな、ボディビルディングであの体を作ったんじゃ!って声を大にして叫びたい。
詳しくは端折るけれど、当時最先端のアイソメトリックスを取り入れて、アイソトニックスもしっかりやってる。そしてランニングは毎日じゃない。
そんなことも知らないでビルダーのような見せ掛けの筋肉じゃなく、ブルース・リーのような使える体を目指すとかほざく。
ブルース・リーが「考えるな!感じろ!」と言ったことを錦の幟に、考えも無くただ漠然であることを自慢するバカが実に多い。考えることは大前提。考えて考えて、そして考えてから考えるのをやめて感じるんだよ。はじめから考えないのはただのバカ。
でも未だにこの信仰心が抜け切れてない人は多い。
外人には力では勝てないとアスリートがよく言うけれど、その力で勝てない外人ほどにマッスルトレーニングはしたのかと問いたい。
力はトレーニングによって増える。そして単純な身体能力競技である陸上競技を見てもウェイとリフティングを見ても日本人は決して劣ってない。小柄 だから無差別級のサッカーや野球では不利なのかもしれないけれど、階級性のスポーツだと「力では勝てない」は単純な言い訳にしか過ぎない。筋肉を付けるト レーニングは全トレーニングの中でも一番しんどい。普段からの節制が必要だ。全スポーツの中でもっとも過酷なのはボディビルディングだと断言する。
しんどいことからから逃げたいだけの言い訳が「ブルース・リーのような使える筋肉を付ける」という意味不明な言葉になる。
体が大きいことや生まれつき腕力があることは単純に才能なわけで、「力だけ」と見下すやつは、逆に「センスしか」と見下されても仕方が無い。
ついでに言うとワンインチパンチは強力なパンチではあるけれど、振りかぶって殴れるほどのパワーしか出ない。
足のグリップや腰の回転を基本通りに正確に使えれば、たったワンインチでも力は込められるというだけのこと。
彼に責任はないけれど、ブルース・リーは罪深い。
でもロマンは捨てきれないw
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