吉祥寺と、ドラマと、シンガーソングライター。
ネットニュースでは著名人の自死の報道をする際、一緒に「相談ダイヤル」を掲載する。動画サイトで運営にセンシティブな内容とみなされた場合は、該当の動画に注意喚起が出る。
なぜなら、大衆が触発されることを防止するために。そして、メディアの報道の在り方に対して人々が厳しい視線を向けるようになったから。
大衆が「不謹慎」に敏感になった。私はそれ自体は悪いことではないと思うし、これして生きる道を選ぶ人が増えるなら、良いことであるとさえ思う。
しかし、「常識的にダメだからダメ」と条件反射的に、何も自分の頭で考えずに厳しい視線を向けているようにも思える。
「不謹慎はダメ」が常識だとしたら、その常識をガン無視した例で真っ先に思い当たるのが、テレビ東京で2016年に放送されていた深夜ドラマ「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」である。
正確にはドラマの内容ではなく、OPテーマになった曲、あいみょんの「生きていたんだよな」である。これは「いのち」・「自死」をテーマにした曲なのだが、そんな曲を平和な街ブラロケ的ドラマに採用するとは…という驚きがあった。
まず、このドラマを知ったのは本当に偶然で、ネットサーフィンをしていたら見つけた。自分が吉祥寺によく行っていたからというだけの理由で、興味深くドラマを見始めた。
そしてOPテーマを聞いた瞬間、ぐっと歌詞に惹きこまれていった。「あいみょんという、同世代のシンガーソングライターさんが作った曲なのか、歌詞センスは稀にみる天才だ…」と凡人の私は驚愕する。
というわけであいみょんさんのことは、マリーゴールドで紅白歌合戦に出場された2018年よりもっと前から知っていたのは、プチ自慢。
さて、自分には才能がない、価値がない、需要がない、いなくてもいい、という感情が煮えたぎる中学、高校、大学時代を送った(当時は大学生だったので、送っていた)私だったので、彼女の曲は共感しかなかった。
無責任に「生きろ」と言っている人は、何を根拠に言っているのだろう?自身の恵まれない身の上から一転成功したという体験を押し付けてるの?満たされた人生を送り続けて何の苦労もしてないから?と日々思っていた。
ただ、1つ言えることがある。彼女は、彼女自身の歌で自殺する人が出ることは絶対に、確実に望んでいないはずで、もし私がそれをしてしまったら、私の大好きなあいみょんというシンガーソングライターに申し訳が立たないということだ。
周りにドン引きされるくらい音楽を知らない私だが、かれこれその後も彼女の曲を聴き続け、結局現時点で50曲近く知っている。そのくらい大好きで、新曲が出るたび感銘を受けて、はまり込んでしまっている。
だから私は、生きようと思った。そんな10代最後であり、20代である。