自分のために書いてます/下位2割のアリです

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最近の記事

去年の今頃はお別れのカウントダウン期

3月は、卒業や異動での別れの季節。 現職は年単位での定期異動がないので、別れの季節とは無縁になってしまった。 ただ、去年の今頃、前職にいたときは定期異動のシステムがあった。 そして自分も異動対象で、2月末日に社外出向から戻るよう辞令が出ていた。 あらかじめ出向の任期は言われていたので心の準備はできていたとはいえ、寂しい気持ちは拭えなかった。最低あと1年、帰らないでいたかったな。 引継ぎ資料を作成し、後任の挨拶に同席し、周りから「もうすぐ異動だね」と声を掛けられ、ゆっくり

    • 【博物館】国立西洋美術館のドキュメンタリー映画

      先日、渋谷のイメージフォーラムに映画「わたしたちの国立西洋美術館」を観に行った。映画を見るのは2年ぶり、その前は6年前。そんなわけで滅多に映画を観ないのだが、思い立って観に行くことにした。 以下、ネタバレ含みます。 1.前回・初回記事 前回記事(おやすみ中💤) 初回記事 2.この映画を観に行くきっかけ 観に行くことにしたきっかけは、日経新聞で国立西洋美術館に関するドキュメンタリー映画があるという文化面の記事を目にしたからだ。映画の概要は、以下新聞記事に端的にまとめ

      • はじめてのおつかい('23夏)

        7月17日(月)に放送されていたはじめてのおつかいを見た。 今回放送の感想 20年ちょっと前に放送されたものの再放送、千葉の男の子(4歳)とそのお友達の女の子(5歳)のおつかいも放送されていた。 小さい子どもながら甘酸っぱい青春も感じさせられ、最後はそれぞれのお母さんのもとへ泣きながら駆け寄っていて、さすがに感動してしまった。 2人の現在の様子も紹介されていた。2人とも夢を叶えていた。 ちょうど人生がうまくいってない同世代の私は、少し背中を押してもらえたような気がした

        • 【博物館】行くようになったきっかけ

          私は、大学時代に博物館学芸員課程を履修していた。全課程を履修したので、学芸員資格を持っている。ただ、学芸員になるためには一般的に大学の学部だけではだめで、大学院に進学しなければならない。法律で決まってるわけではないけど。 しかも、大学院を修了したからと言って、すぐに博物館での学芸員の仕事にありつけるわけでもない。博物館がいつでも人員募集をかけているわけではないから。学芸員は、すごく優秀で運も持ち合わせている一部の選ばれし方々しかなることができない。 そんなわけで学芸員課程

          父方の祖父の追想記(#おじいちゃんおばあちゃんへ)

          先月、両親と母方の祖父母と5人で食事をした。 そうやって、今でも母方の祖父母にはとても良くしてもらっている。 一方、父方の祖父母はもう亡くなっている。 祖母は私の生まれるずっと前に、祖父は10年ほど前、私が高校生の頃。 #おじいちゃんおばあちゃんへ noteのこのハッシュタグを見て、父方の祖父のことを思い出した。 祖父は声が出なかったので、私は祖父の声を聞いたことがない。 生まれつきなのか、何か経緯があってなのかもわからない。 両親に経緯を聞くことがないまま今日まで来て

          父方の祖父の追想記(#おじいちゃんおばあちゃんへ)

          語りつくされた左利きあるあるを語る春

          私は左利きだ。 幼少期はクラスメイトからよく「左利きなんだね!」と言われていた。 子どもは珍しいものに対して反応する生き物だから。 大人になった今ではほとんど言われなくなったけど、先日何年ぶりかに「左利きなんだ!」と言われた。 懐かしいと同時に、珍しがられることへの優越感以外、左利きにメリットなんて全くないんだ、という気持ちが久しぶりに蘇った。 ①書道はへたくそ 書道の筆は右手で書けるような仕組みになっているから不便だ。というか文字自体が右利き仕様にできているから、左利

          語りつくされた左利きあるあるを語る春

          私はいつだってあの世の一歩手前で躊躇してしまう。

          私はしょうもない人間で、少しのことで嫌気がさし、嫌気がさしたことに嫌気がさす。自分が弱い、使い物にならない人間であることに嫌気がさす。 生きる気力を失い、多くのことが手につかなくなったことが4度ある。 そのうち、本気で命を絶とうと準備したことは、1度。 その1度は、至極しょうもない理由。 人とのコミュニケーションが苦手、相談できる同期なんていない(仲いい子は皆気が強かった)、幼馴染も厳しくてなんぼという考えの子、親は辞めて実家戻れと言いかねない(1人暮らししたかったから

          私はいつだってあの世の一歩手前で躊躇してしまう。

          吉祥寺と、ドラマと、シンガーソングライター。

          ネットニュースでは著名人の自死の報道をする際、一緒に「相談ダイヤル」を掲載する。動画サイトで運営にセンシティブな内容とみなされた場合は、該当の動画に注意喚起が出る。 なぜなら、大衆が触発されることを防止するために。そして、メディアの報道の在り方に対して人々が厳しい視線を向けるようになったから。 大衆が「不謹慎」に敏感になった。私はそれ自体は悪いことではないと思うし、これして生きる道を選ぶ人が増えるなら、良いことであるとさえ思う。 しかし、「常識的にダメだからダメ」と条件

          吉祥寺と、ドラマと、シンガーソングライター。

          ひとまわり前の私へ。

          アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」 おすすめ動画に上がってきたので、久々に聴いてみた。合唱コンクールでも歌った、ある意味思い入れのある曲。まあ、このときは14歳だったけど(笑) この曲は、30歳だったアンジェラさんが15歳の自分に宛てて送ったメッセージらしい。確か。 過去の自分に言いたいこと、山ほどあるよね。 過去の自分は恐らく、そこそこ元気に尖り散らしてると思います。 忠告するとすれば、もう少し積極的に課外活動、対外関係に目を向けると人生が豊かになる

          ひとまわり前の私へ。

          自分を助けられるのは自分だけ

          自分の心理的変化や窮地に追い込まれた時、他人が発見してくれると思うな。 確かに、気にかけてくれる人がいる環境にずっと居られる人もいるだろう。 ただ、大半はそうではないと思う。 私は、気にかけてくれる人がいる環境と、そうでない環境のどちらも経験したことがある。 今回は、仕事に特化して述べようと思う。 後者の場合、周りの人の性格が悪いわけではなかった。むしろフレンドリーな方ばかりだった。 ただ、フレンドリーと気にかけてくれるは全くの別物。 特に外回りの部署にいる場合、

          自分を助けられるのは自分だけ

          「月曜日なんか来なきゃいいのに」全員卒業したアイドルの歌を、今でもずっと聴いている

          「月曜日なんか来なきゃいいのに」 私が社会人1年目の秋、行きつけの油そば屋でついていたラジオから流れてきた。 歌詞が頭から離れず、その場ですぐに検索をした。 こういう人たちが歌っていて、YouTubeでPVも公開されていて、作詞とダンスのどちらもメンバーがやってるんだということが分かった。 そこから日曜日の夜は毎回聴いていた。 明日へ希望を見出すために、明日が希望に満ち溢れた日になるように、努力するのが人間なんだけど、それができずに聴いていた。 ああ、月曜日なんか来

          「月曜日なんか来なきゃいいのに」全員卒業したアイドルの歌を、今でもずっと聴いている

          生きることへの執着

          「ネットで故人の声を聴け」といつ東洋経済オンラインの連載を読んでいる。きっかけは、Twitterでこの中の1記事が話題になっていたから。 その記事は、2000年代前半に亡くなった「41才の肺がん医師」のブログが今も残っているという内容だった。 その医師には、奥さんと2人の子どもがいる。 ブログの中身は医師としての「理知性」と、他人の夫・父としての「情」が混在しており、それでも医師としての要素の方が強い印象を受けた。 故人の声を残すことに関する話は、東洋経済の筆者に任せる

          生きることへの執着